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2012年1月21日 (土)

船長の最後退船義務は無くなったけれど

1 月 13 日に イタリアの沖合で発生した豪華客船 「 コスタ ・ コンコルディア 」 の座礁事故で、スケッティーノ船長が 乗客を船に残したままで救命 ボートに乗り移り 、陸地に逃げてしまったことが話題になった。

Costadel

さらに事故発生直後に自分と連れの女性の 2 人分の夕食を注文していたことが、同船の料理人の証言で明らかになったが、脱出前に 「 腹ごしらえ 」 をしたとは用意が良いことである。

ところで過去には、もっとひどい ノルマントン ( Normanton ) 号事件があったのをご存じか? 1886 年 (  明治 19 年 ) に、横浜港から日本人乗客 25 名と雑貨をのせて神戸港に向かった イギリス船籍の貨物船 ノルマントン号が、和歌山 ・ 串本町の潮岬沖で座礁沈没する事故が起きた。

その際に ドレーク船長以下 イギリス人や ドイツ人からなる白人の乗組員は全員救命 ボートで脱出し、沿岸漁村の人びとに救助されたが、その際に 日本人乗客 25 名を 1 人も救命 ボートに乗せずに全員が溺死し 、中国人、インド人などの有色人種の乗組員も 12 人が死亡した。

イギリス人の人種差別による行為であったが、後に領事裁判の結果 船長は禁固 3 ヶ月に処せられたが、賠償金は支払われなかった。

[ 船と運命を共にした船長 ]

昭和 45 年 ( 1970 年 ) のこと、千葉県犬吠埼の沖合い約 300 キロの太平洋上で鉱石運搬船 カリフォルニア丸 ( 61,000トン、乗員 29 名 ) が、大波により船首部分を破損して浸水をおこし沈没した。

乗組員のうち 24 名は無事に救助されたが、住村博船長 ( 当時 45 才 ) は 「 船と運命を共にすると 」 言い残し救助を拒否して殉職した。この事故では船長の他に合計 5 名が死亡した。

当時の船員法第 12 条には 「 船長の最後去船義務 」 という項目があり、「 旅客 ・ 海員その他船内にある者を去らせた後でなければ、自己の指揮する船舶を去ってはならない 」 とあったからだ。

この事故を契機に、みすみす助かる機会を船長から奪うのは非人道的であるとして、船員法から船長の最後退船義務が無くなり、航空法の [ 危難の場合の措置 ]  も改正された。

現在の航空法第 75 条 :  機長は、航空機の航行中、その航空機に急迫した危難が生じた場合には、旅客の救助及び地上又は水上の人又は物件に対する危難の防止に必要な手段を尽くさなければならない。

だけとなり、「 機長の最後退去義務 」 がなくなった。 しかし事故が起きると乗客の避難誘導もせずに、われ先に脱出する外国機の スチュワーデスや 乗員がいたのだ。

Garuda

平成 8 年 6 月 13 日に ガルーダ インドネシア航空の D C-10 が福岡で離陸に失敗し、滑走路から オーバーランし後に炎上する事故があった。

その際に機長や客室乗務員たちが乗客の避難誘導もせずに、 われ先に機外に脱出したので乗客から非難された。

職務遂行の際に、自分の命を危険にさらすことなど、アホ らしい と考える外国の乗組員がほとんどである。 イタリア豪華客船の スケッティーノ船長と同じように !。

彼等にとって仕事とは単に生活に必要な カネ をもらうための手段であり、 命を危険にさらすほどの対価 など全く含まれていない。

だから危なくなったら乗客のことなどかまわずに、さっさと逃げ出すのは当然のことである。

それに都合が良いことに、キリスト教では自殺は神の教えに反する重大な罪だし---ね!。

死んで花実が咲くものか、命あってのものだね、解雇されたらすぐに別の会社に就職しよう---っと。

...

2012年1月 2日 (月)

年末年始、雑感

新年おめでとうございます。

元日や冥土の旅の 一里塚、めでたくもありめでたくもなし、という 一休禅師の言葉がありますが、今年は私も 79 才、数え年の 80 才になる 予定であり、こんなに長生きするとは夢にも思いませんでした。

この年齢になると級友の 三分の一 は すでにこの世を去り、 散る桜、残る桜も散る桜 の境地にありますが、糖尿病の薬を飲みながら、あと 1~2 年で ブログの更新も途絶するのではないかと思っております。

ところで私は生来音痴のために、カラオケの持ち歌といえば千昌夫の 「 北国の春 」 と軍歌しかなく、そのため 「 NHK の紅白歌合戦 」  など、何十年も見たことがありませんでした。

大晦日の夜は、 7 時 15 分過ぎから NHK の紅白歌合戦を見る老妻とは、見る テレビの番組が異なるために、さっさと自分の書斎に避難し、見たい テレビ番組が無いので図書館から借りて来た本を静かに読むことにしました。

結局私はいつものように 10 時半に寝たもの、老妻は行く年来る年の テレビ番組をみて 12 時半に寝たとのことでした。

元日の夜は ウイーンフィル ・ オーケストラの  ニューイヤー ・  コンサートの生中継を 「 聴く 」 のではなく  見ました が、興味の焦点は  オーケストラに女性音楽士が何人いるかでした。

Harpist

古くから ヨーロッパの宮廷では、料理の給仕人や音楽士は男性のする仕事とされてきましたが、宮廷音楽士の流れを汲む ウイーン ・ フィルハーモニー ・ オーケストラは、長年女性差別や人種差別意識が強く、女性や白人以外の音楽家を拒否してきました。

近年になってその差別性を厳しく指摘された結果、2001 年 1 月に有色人種では初めて小澤征爾に、ニューイヤー ・ コンサートの指揮棒を振らせ、その後国立歌劇場の音楽監督に任命しました。

Cherist

私が見た限り女性音楽士の最多は去年の 3 人でしたが、今年は ハーピスト と チェリストの 2 名でした。それと共に、かつては白人一色でした  ウイーン少年合唱団の中にも 、アフリカ系の少年が今回は少なくとも 2 名、アジア系の少年も数名いたので、 天使の歌声 の構成 メンバーにも、人種差別に対する変化の波が押し寄せたことが分かりました。

1 月 2 日は午前 8 時に出発する、箱根駅伝の テレビ中継を見ないと正月になった気がしないので、正月の朝寝をせずに起きましたが、駅伝の実況中継をときどき見ながらこれを書きました。

駅伝の中継が終りしだい、近くの神社に初詣に行き、 来世では 良縁に恵まれますように お願いすることにしよう---っと。

皆様にとって、今年が良い年でありますように願っております !。

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