船長の最後退船義務は無くなったけれど
1 月 13 日に イタリアの沖合で発生した豪華客船 「 コスタ ・ コンコルディア 」 の座礁事故で、スケッティーノ船長が 乗客を船に残したままで救命 ボートに乗り移り 、陸地に逃げてしまったことが話題になった。
さらに事故発生直後に自分と連れの女性の 2 人分の夕食を注文していたことが、同船の料理人の証言で明らかになったが、脱出前に 「 腹ごしらえ 」 をしたとは用意が良いことである。
ところで過去には、もっとひどい ノルマントン ( Normanton ) 号事件があったのをご存じか? 1886 年 ( 明治 19 年 ) に、横浜港から日本人乗客 25 名と雑貨をのせて神戸港に向かった イギリス船籍の貨物船 ノルマントン号が、和歌山 ・ 串本町の潮岬沖で座礁沈没する事故が起きた。
その際に ドレーク船長以下 イギリス人や ドイツ人からなる白人の乗組員は全員救命 ボートで脱出し、沿岸漁村の人びとに救助されたが、その際に 日本人乗客 25 名を 1 人も救命 ボートに乗せずに全員が溺死し 、中国人、インド人などの有色人種の乗組員も 12 人が死亡した。
イギリス人の人種差別による行為であったが、後に領事裁判の結果 船長は禁固 3 ヶ月に処せられたが、賠償金は支払われなかった。
[ 船と運命を共にした船長 ]
昭和 45 年 ( 1970 年 ) のこと、千葉県犬吠埼の沖合い約 300 キロの太平洋上で鉱石運搬船 カリフォルニア丸 ( 61,000トン、乗員 29 名 ) が、大波により船首部分を破損して浸水をおこし沈没した。
乗組員のうち 24 名は無事に救助されたが、住村博船長 ( 当時 45 才 ) は 「 船と運命を共にすると 」 言い残し救助を拒否して殉職した。この事故では船長の他に合計 5 名が死亡した。
当時の船員法第 12 条には 「 船長の最後去船義務 」 という項目があり、「 旅客 ・ 海員その他船内にある者を去らせた後でなければ、自己の指揮する船舶を去ってはならない 」 とあったからだ。
この事故を契機に、みすみす助かる機会を船長から奪うのは非人道的であるとして、船員法から船長の最後退船義務が無くなり、航空法の [ 危難の場合の措置 ] も改正された。
現在の航空法第 75 条 : 機長は、航空機の航行中、その航空機に急迫した危難が生じた場合には、旅客の救助及び地上又は水上の人又は物件に対する危難の防止に必要な手段を尽くさなければならない。
だけとなり、「 機長の最後退去義務 」 がなくなった。 しかし事故が起きると乗客の避難誘導もせずに、われ先に脱出する外国機の スチュワーデスや 乗員がいたのだ。
平成 8 年 6 月 13 日に ガルーダ インドネシア航空の D C-10 が福岡で離陸に失敗し、滑走路から オーバーランし後に炎上する事故があった。
その際に機長や客室乗務員たちが乗客の避難誘導もせずに、 われ先に機外に脱出したので乗客から非難された。
職務遂行の際に、自分の命を危険にさらすことなど、アホ らしい と考える外国の乗組員がほとんどである。 イタリア豪華客船の スケッティーノ船長と同じように !。
彼等にとって仕事とは単に生活に必要な カネ をもらうための手段であり、 命を危険にさらすほどの対価 など全く含まれていない。
だから危なくなったら乗客のことなどかまわずに、さっさと逃げ出すのは当然のことである。
それに都合が良いことに、キリスト教では自殺は神の教えに反する重大な罪だし---ね!。
死んで花実が咲くものか、命あってのものだね、解雇されたらすぐに別の会社に就職しよう---っと。
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コメント
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この事故があった年の12月に福岡へ行ったんだよね。そしたら、機体がまだ空港の隅に置いてあって、それを外から生々しく見えないように全体がビニールカバーで覆われていたの。
でもね、自分が乗った機が離陸して、ふと下(空港)を見ると。地上からは分からなかったが、上から見るとカバーがまんま飛行機の形になってました。おい、そりゃ、空港利用客から見たら心理的には逆効果だぞ。と、心で突っ込んだ。
投稿: | 2012年7月21日 (土) 23時55分