台風の思い出
台風 4 号は当初の予想とは異なり大阪付近を通らずに紀伊半島に上陸して時速 50 キロの高速で東海・関東を通過して行った。 もし伊丹空港や関西空港に台風が近づく危険があるときにはどうするのか?。
飛行中であれば目的地を変更して安全な空港へ着陸する。地上にいる飛行機については格納庫に空き スペースがあれば飛行機を格納するが、どこの空港にも整備用の格納庫はあるものの、大型機 ・ 中型機を格納する余分な格納庫などないので、飛行機を事前に安全な空港に避難させることになる。
これを タイフーン ・ エバキュエイション ( Typhoon Evacuation 、台風避難 ) というが、避難しないと どうなるかといえば、このような状態になる。
今から 40 年以上前の昭和 45 年 ( 1970 年 ) 頃 (?) のこと、当時は富士山 レーダーは運用していたが、気象衛星など日本はおろか アメリカにも無かった。
伊丹空港に台風が来そうだというので、夜間駐機する予定の飛行機 15~16 機を、夜間に札幌千歳空港に避難させることになったが、出発の順番は偉い機長からであった。
当時下っ端の ターボプロップ機の機長だった私の順番は最後の方であったが、風が急に強くなり私の数機前に離陸滑走中の飛行機が危険を感じて離陸中止 ( Reject take-off ) したので、以後の飛行機は地上で台風をやり過ごすことになった。
飛行機は風に正対している分には風速何 十 メートルの風が吹いても安全だが、横から吹かれると危険なので、広い駐機場に間隔を取って駐機し、エンジンを回したままにした。
暗い中で時々着陸灯を点灯させては雨足から風向を確認し、常に機首の真正面から風を受けるように機体を移動した。
風速何 メートルの風が吹いたのか忘れたが、駐機 ブレーキ ( 車でいえば駐車 ブレーキ )を緩めると、機体が風圧で ズルズルと後退するのには驚いた。そこで エンジンの回転数を上げて推力を増やし元の位置に戻った。
台風の進路に対して右半円は特に風が強く吹くので 危険半円 ともいうが、そこでは風向が時計回りに変化する。
最も強風が吹き荒れたのは 4~5 時間ほどで、後は徐々に弱くなり、整備関係者が差し入れてくれた夜食で空腹を満たしたが、36 年の パイロット人生で、 地上で台風を凌 ( しの ) いだのは たった 一度だけであったが、貴重な経験であった。
これ以外にも台風で家の雨戸の戸袋が飛ばされた事もあったが、女房からは 「 家に居て欲しい時にはいつも仕事で留守だし、居ても台風が来ると いなくなる 」 と文句をいわれた。