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2012年9月25日 (火)

韓国に四度も騙される日本 ?

韓国大統領の 李 が竹島に上陸しその後 公的な場で象徴天皇を公然と侮辱したが、日本は抗議しただけで報復措置を全くとらなかった。

それを見た中国は、日本は国の主権を侵害され天皇が侮辱されても何も報復しない、つまり腰抜けの 「 いじめ易い国 」 だということが分かった。

野田佳彦首相は、2012 年 9 月 23 日の米 ウォール ストリート ジャーナル( WSJ ) の   インタビュー記事の中で韓国との 「 従軍慰安婦 」 問題について触れ、「 法的には完全に決着がついている 」 と述べた半面、「 お互い知恵を出していこうと、水面下でいろいろやってきている 」 と発言し、韓国と非公式に交渉を続けていることを明らかにした。

Baishunfu

韓国では 2004 年の性売買特別法により売春が禁止されたが、上の写真 ( クリックで拡大 )  は 2011 年に韓国の 売春婦達 が性労働者としての労働の権利、つまり 売春を合法化しろと要求 する集会である。全員がマスクを着用している。ちなみに日本で売春禁止法が成立したのは 1957 年であった。

産業の無かった韓国には昔から売春婦が山ほどいたが、ありもしない 「 いわゆる従軍慰安婦 」 に対して日本が賠償金を支払い、頭を深く下げて謝罪せよとという話を蒸し返す件である。

売春は韓国の 伝統産業 であり、本年 5 月に韓国政府が発表した報告によると、海外で売春に従事する韓国人女性は 8 万人に達することが分かったが、そのうち 5 万人が日本で 「 活躍している 」 と中国の国営通信の新華社が、2012 年 6 月 16 日に伝え、売春婦の多さに日本では 嘲笑の対象となっていると報じた。

また、オーストラリアの市民団体によれば 2011 年に、オーストラリアの歓楽街で売春に従事する韓国人女性が 1,000 人以上に達することを報告した。

「 いわゆる従軍慰安婦 」 の問題に関する私の考えが以下にあるので読んでもらいたい。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/ian-fu.htm

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/baishun-fu.htm

これまで韓国に 三度も騙された話は以下にあるが、四度も騙されようとする バカな民主党には もう うんざりである。

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-75a4.html

2012年9月15日 (土)

尖閣諸島問題

9 月 14 日に中国の海洋監視船 6 隻が日本の領海に侵入したが、野田総理は竹島問題以来 国民が聞き飽きた 「毅然たる態度」 と、 「緊張感をもって事態に対処する」 とのことであった  。手前が中国の海洋監視船 51 号、向こう側は海上保安庁の巡視船。

Kaikan51

尖閣諸島の領有権は 1884 年 ( 明治 17 年 )に福岡出身の商人 古賀辰四郎が人跡未踏の尖閣諸島に探検隊を送り込み調査した結果、海洋資源や アホウドリが豊富にいることから魚釣島に移住することにした。

古賀からの申請に基づき現地調査の結果、いずれの国の支配下にもないと確認した日本政府は、1895 年 ( 明治 28 年 ) に尖閣諸島を日本の領土に編入することを閣議決定して、古賀に島を無料で貸すことにした。

彼はそこで豊富な鰹などの海産物を鰹節工場で鰹節や干物に加工し、アホウドリの羽毛採取などで莫大な利益を上げた。最盛期には 島に 99 戸、248 人もの日本人が生活を営み島を実効支配していた。

古賀らが移住する 13 年前の 1871 年に台湾で 「 牡丹社事件 」  が起きたが、
宮古島の船が暴風雨で遭難し台湾南部の 牡丹社に漂着し、原住民に助けを求めたところ、乗組員 66 名中 54 人が惨殺される事件が起きた。

日本政府は中国 ( 清 ) に謝罪と賠償を求めたところ、中国政府は 「台湾は化外  ( けがい ) の地 」 として拒否したが、当時の中国は台湾さえも化外の地としていた。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/musha-ji.htm#kegai

[ 中国が尖閣諸島を日本領と認めていた明白な証拠 ]

1919 年のこと中国福建省の漁船 ・ 金合丸が暴風雨で遭難し魚釣島南西端で座礁したため、魚釣島の日本人が 31 名を救助した出来事があった。

Kanshajou

後に中華民国 ( 中国 ) の在長崎領事から感謝状が届いたが、それに記された海難発生場所として、 日本帝国 ・ 沖縄県 ・ 八重山郡 ・ 尖閣列島内 ・ 和洋島承と記されていたが、これを見れば当時の中国が尖閣諸島を日本の領土と認めていた証拠である。

ではなぜ中国が尖閣に領有権を主張するようになったのか、その答は簡単で チベットを軍事力で自国領としたように、欲しい物はなんでも俺の物 にする強欲な中国の方針からである。

Philippines

上図は南シナ海における各国が主張する排他的経済水域 ( E E Z ) であるが、赤破線は強欲な中国が主張するもの、青の太い破線はフィリピンの水域、青の細い破線は国連海洋法条約に基づく境界線である。

尖閣諸島に限らず ベトナムの東にある西沙諸島 ( パラセル諸島 ) や  フィリピンの西にある南沙諸島 ( スプラトリー諸島 ) も、中国は現に武力を使い領有化しつつある。

Seisha

中国が尖閣諸島を領有化しようとする最大の理由は、1971 年 ( 昭和 46 年 ) に国連の協力により日本 ・ 台湾 ・ 韓国が合同海底資源調査をした結果、尖閣諸島周辺に石油資源の埋蔵が判明したからであった。

それから 7 年後の 1978 年に日中平和友好条約を締結するために来日した鄧小平副首相は、次のように発言している。

「 尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。たしかに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。

日中間で対立があるこういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう 」

この発言に対して、当時の福田赳夫首相が 一言も反論しなかったことで 、中国に尖閣諸島の領有権を主張する口実を与える結果となった。

さらに 中国が鄧小平副首相の述べた約束を破り、1992 年 ( 平成 4 年 )に、 「 領海および接続水域法 」 で、 一方的に尖閣諸島を自国領と明記した際にも、外務省は口頭で抗議しただけであった。

当時から今に至るまで、歴代の総理大臣 ・ 外務省が国益を守ることに対する、この弱腰と事なかれ主義が諸悪の根源であった。 

再度述べるが日本は 1895 年に尖閣諸島を正式に日本領土としたが、中国が正式に自国領としたのは1992 年であった。

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