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2012年12月25日 (火)

朝寝坊した航空管制官

 
高松空港で 12 月 17 日夕、降下中の、日航 1411 便( 乗客乗員 81 人 ) が午後 6 時 23 分に着陸の許可を出す高松空港の管制官と連絡を取ろうとしたが、応答がなかった。そのため日航機と後続の全日空 537 便 ( 同 156 人 ) は空中で待機せざるを得なかった。

航空機が管制官と 10 分間、無線交信できなくなった トラブルで、国土交通省は21日、交信担当の 40 歳代の男性管制官が居眠りをしていたと発表した。 60歳代の男性管制官は、ターミナルビルで夕食を買いに出かけるなどで、管制塔を 1 時間も不在にしていた。同省は「緊張感のない勤務により航空機の遅延を発生させてしまった。深くおわびしたい」 と陳謝した。

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今から 40 年近く前のこと 、クリスマス当日に朝一番の飛行機で大阪伊丹空港から九州の大分空港に飛ぶことになった。飛行機が岩国を過ぎて福岡管制部の指示を受けて降下中に天気が良く、国東半島東端にある大分空港が見えて来た。そこで

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We have the airport in sight, cancel  I F R this time   ( 空港が見えたので計器飛行方式を キャンセルする ) と福岡管制部に言い大分管制塔の無線周波数に切り替えた。ところが何度呼んでも管制塔からは応答がなかったので、今度は社内無線で大分空港にある ANA の事務所を呼び、管制塔と連絡がとれないので航務課で調べるように伝えた。右側が新しい管制塔。

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すると 航空管制官が未だ出勤していない 旨の連絡があったが、当時大分空港は朝 8 時から運用開始でありその時刻を 30 分過ぎても管制官不在のために、空港に着陸できないとは不便な話である。 170 名の乗客を乗せて代替空港の福岡に向かうのも乗客にとって非常に迷惑なことなので、 

公共の利益が違法性を阻却 (そきゃく、しりぞける )すると判断して、管制官不在のまま機長の権限と責任で 大分空港に着陸することに決めた。

車輌や飛行機などの障害物がないことを確認するために滑走路上を ロウ パス ( Low pass 、低空飛行 ) して確認し、その後に着陸した。

次の東京 ・ 羽田空港行きには 50 分の余裕があったので、事務所で気象などを調べていると管制塔から電話が掛かってきた。てっきり出勤が遅れ迷惑を掛けたことへの管制官からの謝罪かと思ったら、さにあらず

「貴方は誰の許可を受けて着陸したのか?。管制官の着陸許可を受けずに着陸したのは 航空法違反だから報告する 」 という言葉であった。それを聞いた私は航空法違反の件は承知のうえだが、相手の態度には頭にきたので早速反論した。

「 大分空港の運用時間は朝 8 時からのはずだ、それを 40 分も遅れた事に対して ノータム ( NOTAM 、 Notice To Air Men 、パイロットに対する航路情報 ) を出して全国の空港に連絡したのか?。貴方が航空法違反で報告するなら勝手にどうぞ。私は キャプテン リポート ( Captain Report 、機長報告 ) を会社経由で提出して運輸大臣に報告するから。

それだけではない、もし私が福岡空港に目的地を変更したらどうなると思うのか?。管制官の朝寝坊が原因だと知ったならば マスコミは黙っていないよ。」

その後大分から羽田空港に着陸し会社の事務室に行くと、私あての メッセージが大分の管制官から届いていた。 「 今回の件は失礼しました。 こちらでは無かったことしますので、よろしく

時代は高度経済成長期の頃で クリスマス ・ イブに仲間と一緒に飲み過ぎたのではないかと想像するが、クリスマスになるとこの件を思い出す。

2012年12月17日 (月)

一番がっかりしたのは中国

12 月 16 日の衆院選挙の結果は予想通り民主党の惨敗に終わったが、能天気で 「 最低でも県外 」 と口から出まかせ放題で、以前口外した政界引退を 2 年後になってようやく実行させられた 「 ハト」  。

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自己 P R だけが得意で原子炉事故現場に必要以上に介入 ・ 邪魔をして、さらにこの非常事態に官邸の カメラマンを ヘリに同乗させて 自分の宣伝写真を撮らせた 市民運動家あがりの軽蔑すべき 空き 「 カン 」 は、地方区 ( 東京 18 区 ) で落ちて比例区で辛うじて当選した。総理大臣経験者としては、見苦しい姿であった。

「 毅然とした態度 」 が口癖だったが党内で支持基盤の無さ、統率力の欠如から党の分裂を招き、最後の 「 衆院解散 」 以外は決断できなかった口先だけの 「 ノダ 」 と、三代続いた無能な総理と民主党に対する国民の失望が下した今回の選挙結果であった。

この結果に 最も失望したのは中国であった

12 月17 日の朝、8  時半頃のテレビの ワイドショウを見ると、ある世論調査の結果が示されたが、 国防について 「 不安を感じる人の割合 」 が 87 パーセントであり、「 不安を感じない人 」 の割合は 13 パーセントであった。

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その理由は尖閣諸島周辺の日本の領海に対する中国公船による頻繁な侵犯であり、12 月 13 日には魚釣島近くの日本の領空を中国機が領空侵犯し、那覇基地から航空自衛隊の F-15 戦闘機 8 機と早期警戒機 ( E 2C ) 1 機を緊急発進させる事件が起きた。

中国としては 日本を威嚇 ( いかく ) することにより、平和教育 (?) を受けた いくじなしで、いじめられっ子の日本人 恐れおののき 、衆院選における 「 親中勢力の拡大 」 を図る意図であったが、開票の結果はそれが逆効果となり、中国が最も嫌う自民党 「 タカ派 」 の安倍政権が誕生することとなった。

かつて 160 人の小沢 チルドレンを率いて中国に朝貢 ( ちょうこう、外国から使いにきて、貢ぎ物を献上する ) 外交をした小沢一郎がいた。民主党から 50 名の子分を連れて飛び出した小沢が、今回 「 未来の党 」 の選挙を取り仕切った。

その結果は党の議員数が 61 名から僅か 9 名へと激減したが、落選者の殆どは小沢と行動を共にした チルドレンたちであった。選挙上手といわれた小沢一郎の惨敗であったが、彼の 「 賞味期限 」 も終わりに近づいた証拠である。

小沢と組まなければ 「 未来の党 」 はもっと伸びたのに 、とする意見も多かったが、党首である嘉田知事の膝元である滋賀県では 、「 未来の党 」 は当選者なし という結果であった。党首の背後にいて 「 党の采配を振るう 」 小沢一郎を県民が嫌ったためと思われる。

大勝した自民党の中でも、かつては党の幹事長を務めた チャイナ ・ スクール ( 外務省の中国語 閥、または親中派外交官 ) 出身の加藤紘一 ( 山形 3 区 ) が落選し、 「 ただの人 」 となったが自業自得であった。

ところで日中間の貿易 ・ 投資額は 2011 年には 3,000 億 ドルを超え、日本にとって輸出入の第 1 位は 貿易量が 20 パーセントを占める中国であり、アメリカは第 2 位であった。

日本経済の再建を図る安倍晋三が尖閣 ・ 靖国参拝を含め、中国に対して今後どのように対処するのか非常に興味がある。

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-6de5.html

2012年12月11日 (火)

全日空機のオーバーラン

平成 24 年 12 月 8 日午後 10 時半ごろ、山形県の庄内空港で、羽田発の全日空 899 便ボーイング 737-800 型機が、 滑走路を 80 メートル オーバーラン する トラブルがあった。

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機体は停止位置を越え、滑走路先の草地に全長約 40 メートルの機体全体がはみ出す形で停止。乗客 161 人、乗員 6 人にけがはなく、機体にも損傷はなかった。

運輸安全委員会の福田公爾航空事故調査官ら 3 人は 10 日 夕、報道陣に対し 「 今のところ操縦や機体に問題点は見つかっていない。気象が影響した可能性が高い 」 との見解を示した。

調査官らによると、着陸直前に秒速約北西の風約 6.5 メートルで、機体は斜めから風を受けていた。気温は 1 度前後だったとみられ、雪が降っていた。全日空は風速や天候などは着陸基準の範囲内だったとしているが、調査官は「基準内の数値だが、風速が変動的だったことも事実 」 と指摘した。

庄内空港の管制塔はその時点での風の情報を、パイロットに適切に通報したのかという問題がある。

だいたい事故調査官のうち運航に関する調査官といえば、航空大学校の教官上がりで、小型の プロペラ訓練機である セスナ の操縦経験しか無く、旅客機の機長に必要な パイロットの免許 ( ATR ) すら持たない者、車に例えれば 原付 バイクや 軽自動車 ( 現在は免許が廃止された ) の免許しか持たない者が 、大型 バスや大型 トラックの事故調査をするようなものである。

おこがましいにもほどがある。降雪の中で夜間、 雪氷滑走路への着陸など、経験したことがあるのか疑わしい。 ちなみに米国では航空会社の機長経験者がなる職業であった。

積雪の多い東北地方にある滑走路の長さ、幅を示すと

1 : 滑走路の長さ
     (1)、青森空港 長さ 3,000m 、幅 60m
      (2)、秋田空港、長さ 2,500m、 幅 60m
     (3)、庄内空港、長さ 2,000m、  幅 45m
   (4)、大館・能代空港、長さ 2,000m、幅 45m
   (5)、山形空港、長さ 2,000m、 幅 45m
   (6)、花巻空港、長さ 2,500m、 幅 45m
   (7)、仙台空港、長さ 3,000m、 幅 45m  
     (8)、福島空港、長さ 2,500m、 幅 60m

今回の件は滑走路長が 2,500m あれば十分に防げた出来事であった。

2 : 雪氷 ・ 濡れた滑走路での ブレーキの効き具合

大型 ジェット機では時速 250 キロ、~ 小型 ジェット機では時速 200 キロの高速で着陸する。滑走路の表面が雪や氷、あるいは濡れていれば車輪の ブレーキの効きは当然悪くなり、ブレーキを一杯に踏み、エンジンの逆噴射を最大にしても機体はなかなか止まらない。

しかも滑走路の長さは限られているし、横風が吹けば走行する機体は タイヤの摩擦が少ないので、滑走路上で風下側に流れようとする。

そのため北海道の千歳空港のような大きな空港では滑走路の滑り易さを計測する機器を装備した自動車で雪氷に覆われた滑走路上を高速走行して車の ブレーキを一杯に踏み、あるいは写真の Mu ( ミュー ) メーター を牽引して、その際の減速率 ( 滑走路の摩擦係数 ) を計器で読み取り、 ブレーキの効き具合 ( タイヤの滑り具合 ) を、 ブレーキング ・ アクション ( Braking Action ) として パイロットに通報する。それは

Mumeter

Good、 グッド、
Medium to Good、ミディアム トゥ グッド、
Medium、ミディアム、
Medium to Poor 、ミディアム トゥ プア、
Poor 、 プア、
Very Poor  、ベリープア   

の 6 段階で表示することになっている。 「 Poor 」 以下の状態では ブレーキが雪や氷で効かない可能性があり、危険なので着陸しないのが普通である。今回その値が計測され、パイロットに通報されたのかどうか?。 自動車であれば路面を見て自ら減速することでき、迷ったら停止すればよい。

しかし飛行機はそれができない。全日空によれば着陸は正常範囲内に着陸したそうであるが、B-737-800 の接地速度はどれほどか知らないが、仮に 110 ノット ( knot、秒速 55 メーター ) とすれば、時速に換算すると時速  200 キロメートルになる。

重量 70 トン前後 の機体で夜間着陸の際に、降雪の中で着陸灯を点灯すれば目の前は雪に反射して真っ白になり前が見えなくなる。その場合は着陸灯を消して電波高度計の発する音声高度を頼りに、暗くて雪と氷の滑り易い滑走路に 「 カン 」 を頼りに着陸するが、36 才の 機長は必死に操縦したに違いない。

下記の写真は庄内空港だが、はっきり言って悪いが平行誘導路もない田舎の小さな空港である。これでは滑走路での ブレーキの効き具合を調べる ミューメーターは、空港に配備されてないかも知れない。!

もしそうであれば機長は滑走路のブレーキの効き具合、つまり滑り易さの程度も分からぬままに、夜間雪が降る中を短い滑走路に着陸することになる。これで滑走路から オーバーラン ( 行き過ぎる )  したら、機長に責任を問えるのか?。

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乗客は無傷で機体に損傷が無ければ、米国人の考えからすれば 「 運が良かった 」  ですべて終わりであり、インシデント ( Incident ) つまり 単なる 「 出来事 」  にしか過ぎない

重大事故につながる おそれがある とは、役人が仕事を作り職権を拡大するための余分な付け足しである。以前の ブログでも書いたが、事故を起こした パイロットを 刑事処罰するのは、日本の他に 1~2 箇国だけである。下記を参照されたい。

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-b742.html

2012年12月 3日 (月)

小沢さんの傀儡

昨日テレビの番組を見ていると、日本未来の党代表になった嘉田由紀子 滋賀県知事の 姉 が、カメラの前で次のように発言した。

世間の皆様が思っているように、知事は小沢さんの傀儡 ( かいらい ) です。

傀儡 とは辞書によれば「 あやつり人形 」、「 人の手先となって思いのままに使われる者 」 とあったが、 さらに結党宣言の 三日前から 「 国民の生活が第 一の党 」代表の小沢一郎と会っていたことが判明した。

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つまり 「 日本未来の党 」 とは嘉田知事 マークの包装紙を開くと、中身は金権体質の権化であった田中角栄 ・ 金丸信 ( かねまる しん ) ・ 竹下登の 「 秘蔵っ子 」 ・ 直系であった小沢一郎が顔を出す仕組みになっていた。

嘉田知事いわく、「 小沢さんには役職についてもらわない 」  とのことであったが、民主党でも 「 一兵卒になって 」 と言ったはずの男が党内で隠然たる勢力を持ち、あげくの果てに 「 壊し屋 」 の名に相応しく、平成24年7月2日 同調する議員 50 人と共に民主党に離党届を提出して、 「 国民の生活が第一の党 」 を作ったことを国民は忘れてはいない。

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防犯標語に 「 気をつけよう、甘い言葉と暗い道 」 というのがあるが、「 未来の党 」 は選挙公約に子供手当を年額 31 万 2,000 円 出すことに決めた。

かつて民主党代表 ・ 代行の職にあった小沢一郎が 2009 年の衆院選挙の マニフェストで、 16.8 兆円の財源確保 ( 埋蔵金発掘 ) を約束し、それに基づく政権公約を発表したが、巨額の財源確保などできるはずがなく、全国高速道路の無料化や 子供手当も空手形に終わった

当時の責任者だった小沢は 財源の裏付けのない選挙公約など無意味 なことの反省もせずに、再度 できもしない 子供手当 支給の 空手形  で若い主婦層から 票を集めようとしているが、一度目は だまされても 二度もだまされる人は まずいない。

選挙後に ビックリ箱の蓋を開けると、一兵卒のはずの男が突然顔を出して 「 未来の党 」 を 取り仕切る事態 になる、と考えるのは私だけであろうか?。

農学部出身で琵琶湖の水質問題を取り上げて知事になった嘉田知事が、よりにもよって小沢一郎と組むとは、愚かな選択をしたものである。 県知事 二期目の彼女の周囲に、国政選挙を取り仕切ることができる スタッフなど誰もいないのは明らかで、そこにつけ込んだのが小沢一郎であった。

俗に 軒先を貸して母屋を取られる  という 「 ことわざ 」 があるが、彼女は後で後悔するであろう。

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