救助された辛坊治郎
6 月16 日に福島県いわき市小名浜港を出港して アメリカ西海岸の メキシコ国境に近いサンディエゴに向かった テレビキャスターの 辛坊治郎と、サンディエゴ在住の鍼灸 マッサージ師の岩本某 ( 盲目の ヨットマン ) 2 名の乗った ヨット が遭難し、海上保安庁に救助を求めた。
出航から僅か 5 日目の 6 月 21 日の朝 7 時過ぎ、 シケ の中で 何かが 3 度 ヨットの右舷船底付近の外板に衝突し浸水が始まった。排水が追いつかず復旧困難と判断し船体を放棄する旨を支援者に衛星電話で告げ、ゴムボートで脱出し救助を待った。
二人が乗った脱出用 ゴムボートは波 シブキ除けと寒さ除けに、 キャノピー ( Canopy 、天幕 ) を張っていたが、ある程度の非常用の水や食料も装備されているのが普通である。
海上保安庁からの救助要請を受けた神奈川県 厚木にある海上自衛隊基地の P 3-C 対潜水艦哨戒機が日本の東 1,200 キロ 付近で漂流中の ゴムボートを発見し、救難飛行艇 US-2 が着水を試みたが波高 3 メートル以上のため、諦めて基地に戻った。
2 機目の救難飛行艇が危険を冒して荒れた洋上に着水し、遭難者 2 名を無事救助して夜 10 時半に厚木基地に着陸した。 なお離着水の際に エンジンの 一つが荒天で波を吸い込み停止したが、幸運にも再 スタートできて事なきを得たとのことであるが、 救助する側もされる側もまさに命がけであった。
到着後の記者会見で辛坊治郎は、 この国の国民でよかった と語った。
2 名の ヨットマンを捜索救助するために厚木基地から 1,600 キロ 以上離れた遭難現場へ、合計 3 機の飛行機を派遣し、宮城県塩釜港からは海上保安庁の巡視船が現場に急行する途中であった。
これほどまでして救助してくれる親切な国は、日本以外にはありえない。道楽の後始末 に、 5 千万円 程度の税金が使われたはずである。
昭和 37 年 ( 1962 年 ) に カムチャツカ半島付近の北太平洋で、操業中の漁船員が漁網の巻き揚げ機に片足を挟まれ切断する事故が起きたが、当時青森県の海上自衛隊八戸基地に勤務中の私は、6 時間飛行して輸血用の血清 2,500 CC を パラシュートで巡視船に投下し、負傷者の救助に役立つたことがあったが、51 年前 のことであった。
当時のことは下記にある。
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コメント
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米コーストガードのモットーです
You have to go out but you don't have to come back.
人が冒険心をなくしてしまったら中国とか韓国のような国になってしまうのではないでしょうか
比喩には語弊があるかもしれませんがライト兄弟のフライヤーを思い出します
ヨットで走りはるか外洋でダメかなという経験も2度ほどしましたが海には素直になるしかないと意識しています
過去にヨット事故の事故調査委員会の一人でしたのでいくつかの想定原因はありますが今回のケースは残念です
投稿: 赤間匡 | 2013年6月23日 (日) 20時51分
救助する側に立てば
[ 1 、冒険を否定するものではない ]
二人で太平洋を小型 ヨットで横断しようが、80 才になって エベレストに登ろうが、予想される危険を承知のうえで実行するからには、万一の場合は死ぬ覚悟と「 自己責任 」に対する自覚が必要です。
1927 年に史上初めて大西洋の単独無着陸横断飛行に成功した リンドバーグを見習うべきで、真の冒険とは全て自己責任、他人からの救助など当てにしないものだと思います。
その自覚無しにいわゆる冒険をすることは、「 単なる お遊び や 道楽 」 の部類にすぎないと思います。今回辛坊治郎は、それがあったのかどうか疑わしい。
設計波高 3 メートルの制限を超えて着水し、 一つの エンジンが海水を吸い込み停止するほどの危険な状態での US-2 救難飛行艇の着水により彼は救助されましたが、11 名の クルー には妻や子もいたはずです。
任務とはいえ 「 道楽の尻拭い 」 のために危険な作業に従事した海上自衛隊員に同情すると共に、二重遭難しなくて良かったと思っています。
冒険ではないが私の海上自衛隊在職中に、救難飛行中に起きた死亡事故を紹介します。
[ 2、奄美大島の場合 ]
昭和 37 年( 1962 年 ) 9 月 3 日 南西諸島にある奄美大島に輸血用血液を輸送中の海上自衛隊 P2V 対潜哨戒機が墜落し、隊員 12 名と地元住民 1 名が亡くなったほか、30 世帯 116 人が罹災するという事故があった。
なお、当時は着陸せず パラシュートにより輸血用血液を投下する方法をおこなったが、投下のため高度を下げたとき霧のため視認できなかった名瀬市の蘭館( らんかん ) 山に衝突し墜落したもの。
輸血用血液が欲しければ、400 キロも離れた鹿児島県 ・ 鹿屋市にある海上自衛隊基地から運ばずに、血縁関係が強い奄美大島で患者の家族 ・ 親戚 ・ 友人のうち 「 O 型」 か患者と同型の血液を輸血すれば済む話であったが、当時 「 輸血のために献血する習慣が無かった (?) 」 ということで、それもしなかったといわれている。
[ 3、ヘリの場合 ]
私の ブログ、「 ヘリの事故に思う 斜陽 」 を検索するか、下記の URL をコピー ・ ペイストしてお読み下さい。
http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_33d0.html
投稿: 管理人 | 2013年6月24日 (月) 09時15分
今回のケースは残念ですが、100%の安全を前提にというのは困難と思います、
航空の世界で「あり得ない」という言葉は「あり得ない」という言葉のためにあるものと同様と思います
私は以前に東京都の遙か南の島で暮らし急患輸送で飛んで来ましたレスキューアイボリーUF2、PS1、US1の離発水を見る機会が多々ありました、その時思ったのはご自身の家族もいるのに彼らは命を賭して来てくれるのだなと理解しました、レスキューアイボリー、そして支援機の方々に対する尊敬そして感謝の念は耐えません。
UF2時代の頃は波に叩かれほとんど垂直になり尾翼から着水しダメージを受けながらも緊急搬送ということで応急修理をして離水していったこともあります。
UF2の頃はクルー、機上するドクターが本当に命をかけて来るんだな中学生の私でも理解出来ました
PS1のころは知り合いましたクルーの多くが訓練中に墜落し悲しい思いをしたことがあります。
多くのヨット乗りは彼らの出動が必要にならないように気をつけ安全留意にしています。
なぜならば彼らに出動要求をし結果彼らにケースが発生したとき彼らそしてその家族の事を考えるからです
ただ、海・空でのケースはケースを起こした人がどのような人であれ世界中でSRの義務があり国が税金を使うのは致し方ないのでしょうね
失礼しました
若輩者が長々と
投稿: 赤間匡 | 2013年6月26日 (水) 01時31分