大使の地位を カネ で買った 一族
50 年も前に暗殺された第 35 代大統領 ケネディー の娘が、駐日 アメリカ大使となり日本にやってきた際の マスコミ報道は、あたかも 「 売れっ子 芸能人 」 並みの扱いであった 。
オバマの大統領選挙に協力し、年収 27 億円と称する莫大な収入のうちから、 3 ~5 億円を選挙資金に寄付した見返りに、親の七光り以外に名誉が欲しい彼女に、駐日大使の
1845 年から 1849 年の数年間にわたって ヨーロッパで発生したジャガイモの疫病により枯死する 「 ジャガイモ飢饉 」 が、 貧しい アイルランドを襲い、人口の 20 パーセントが餓死し、200 万人が主に アメリカなどへ移民したが、その移民の 三代目が ジョセフ P ケネディー であった 。
上図は アイルランドの首都 ダブリン市内にある、ジャガイモ飢饉の記念像
カトリック教徒である アイルランド系の 移民は、 ワスプ ( WASP、 White Angro-Saxon Protestant ) が主流の アメリカで、その貧しさから白人種として唯一 「 人種差別を受けた民族 」 といわれたが、やがて ジョセフ P ケネディー は イースト ・ ボストンで父から受け継いだ酒場を経営し地域の政治を支配するまでになった。
資金源は酒の密売であり、1919 年に禁酒法が連邦議会で可決され 1920 年に施行されたが、ほとんどの酒場が店をたたむ中で、ジョセフ ・ P ・ ケネディ は酒の密売で稼いだ。
さらに ジョセフは ボストン ・ ニューヨーク ・ シカゴ ・ ニューオルリンズの主要 マーケットで ギャングの ボスと手を組み密造酒 ・ 密輸入の外国酒の売買で大儲けした。
1930 年代以降、ニューヨーク ・ ニュージャージー 一帯で イタリア系 ギャングの組織化がすすみ、「 ファミリー 」 と呼ばれる組織が誕生した。初期には有名な ラッキー ・ ルチアーノが、その後は フランク ・ コステロが ギャング ファミリー の ボスになった。
コステロによれば 「 俺が ジョー ( ジョセフ の短縮形 ) ・ ケネディー が金持ちになるのを手伝ってやったんだ 」 と自慢していた。
ジョセフ P ケネディー は禁酒法時代に密輸酒の取引という 非合法な手段で稼いだ巨額の カネ で 次に金融業に進出し、1923 年には自分の事務所 「 ジョセフ ・ P ・ ケネディー ・ バンカー 」 を設立し、1920 年代中頃までに、 推定 200 万 ドル の財産を築いた。
1929 年に起きた株式市場の大暴落 ( 世界恐慌 ) の数週間前には マネーゲームを降りて、 1 千万 ドル の富を得たといわれているが、カネが十分溜まれば 次に欲しくなるのは 名誉であった 。
フランクリン ・ ルーズベルトの大統領選挙出馬に カネ を出したことで ジョセフ P ケネディー は、イギリス駐在 アメリカ大使 ( 1938~1940 年 ) の ポストをもらい、アイルランドをかつて征服支配した イギリスに赴任した。
日本でいうならば、日本に帰化した在日が出世をして、こんどは韓国駐在の日本大使になったようなものであった。
たとえ 汚れた カネ であろうが無かろうが、祖父から譲り受けた 資産総額 280 億円 を有する大富豪の女性が、 政治や外交に 「 ズブの素人 」 のくせに、祖父同様に名誉欲から オバマ から カネ で買った ポストである駐日大使に就任したが、社交以外に外交官としての彼女に期待できることなど、何も無い。
« あ く ど い 商 売 | トップページ | 55 年前の防空識別圏 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント