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2013年12月23日 (月)

天皇誕生日に思う

今上天皇 ( きんじょう てんのう、現 ・ 天皇のこと ) が 80 歳の傘寿 ( さんじゅ )を迎えられたことは、昭和天皇に続き二人目のことで結構なことであった。

Tennoukougou

テレビで見る限り前立腺 ガン手術後の薬剤服用のせいか、天皇の顔色がやや赤みを帯び、太り気味か あるいはむくみがあるように思われた。

昭和 20 年 (1945 年 ) の敗戦当時 小学校に在籍した人は現在 75~80 歳前後になっているが、昔は今上天皇の誕生日のことを天長節( てんちょうせつ ) と呼び、小学校は祝日のため休校か、式典を催した。

その際には天長節の歌を歌ったが、歌詞は下記の動画にある。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=Y-2iT-dZfCk

私は天皇誕生日が来る度に、 アメリカ政府の邪悪な復讐心 ( ふくしゅうしん ) の発露である東京裁判や、その他の軍事裁判のことを思い出す。

敗戦の年の昭和 20 年 ( 1945 年 )12 月 8 日の 真珠湾攻撃の記念日 を選んで、当時東京の大森にあった戦犯収容所から A 級戦犯を巣鴨 プリズンに移送し、昭和 21 年 ( 1946 年 ) 4 月 29 日の 昭和天皇誕生日 に被告たちを起訴した。

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フィリピンでは 、開戦当時の第 14 軍司令官の本間雅晴中将 ( 上の写真 ) の攻撃に耐えかねて、 マッカーサーは  8 万人の部下を見捨てて 家族共々バターン半島の コレヒドール要塞から魚雷艇で オーストラリアに向けて逃亡した。

戦歴に ドロ を塗られた マッカーサーは、「 バターン半島 死の行進 」 の指揮官責任を本間中将になすり付け、マニラの米軍事裁判所は、 2 月 11 日 の 紀元節 ( 現在の建国記念日 )  に銃殺刑を宣告し、本間中将が 4 年前に  コレヒドール要塞に立てこもった米国軍と フィリピン軍に 総攻撃を命じた同じ 月 日 時刻である 、昭和  21 年 4 月  3  日の午前  0  時 53 分 に死刑を執行するという 念の入れ様であった。

.極 ( きわ ) めつけは昭和 23 年  ( 1948 年 )  12 月 23 日 、つまり当時の皇太子であった現 天皇の誕生日に、東条首相以下 7 名の  A  級戦犯の死刑を執行したことであった。

これにより 国民が末永く祝うべき 将来の天皇の誕生日を、 7 人の A 級戦犯の血で汚すことにより、 復讐を永続的に遂げたつもりであった。

ところが この 「 もくろみ 」  は日本人の特技でもある 「 忘れ易さ 」 により、見事に失敗した

なぜなら、今日 12 月 23 日が  「 A 級戦犯 」  の  六十五 回目の命日 に当たる  ことを知る日本人は ほとんどいないからであり、 そのことは天皇を 「 国の象徴 」 とする我々にとってはもちろん、 A  級戦犯たちにとっても非常に良かったと思っている。

2013年12月16日 (月)

邪魔者は殺せ

北朝鮮の支配者金正恩の叔父に当たり体制 ナンバー ・ ツーだった張成沢 ( チャン ソンテク ) が、逮捕されてから 4 日目の 12 月 12 日に処刑されたことは、旧  ソ連の スターリン時代が蘇 ( よみがえ ) ったようで、現代に住む者にとっては驚きであった。

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ところで万葉集 124 に有間皇子 ( ありまのみこ、640~658 年 ) が詠んだ歌があるが、

家にあれば 笥 ( け ) に盛る飯 ( いい ) を、草枕 旅にしあれば椎 ( しい ) の葉に盛る。

歌の意味は家にいれば器に盛る御飯を、野宿する旅の途中なので椎の葉に盛って神に供える。   [ 自分に掛けられた 謀反 ( むほん ) の疑いが晴れることを、神に祈って ] 。

彼は第 3 6 代 孝徳 ( こうとく ) 天皇の息子であったが、天皇が没すると天皇の姉 ( 有間皇子にとっては 叔母 ) が、第 3 5 代の皇極 ( こうぎょく ) 天皇から再度皇位に就き、第 3 7 代 斉明 ( さいめい ) 天皇となった。

上記の歌は斉明女帝から謀反の疑いを掛けられて、叔母が湯治の為に滞在する和歌山県の白浜温泉に護送される途中に、紀伊国 藤白坂 ( 現 ・ 和歌山県 海南市 藤白 ) で有間皇子は 絞首され僅か 19 歳でその生涯を閉じたが、不吉な運命が予想される旅の途中 で詠んだ歌であった。 

斉明女帝の後に皇位を継いだのは、予定通り 「 わが子 」  の 中大兄皇子 ( なかの おおえのおうじ )  で、後に第 3 8 代 天智天皇となった。

戦国時代においても 親 ・ 兄弟が互いに殺し合い ・ 追放するのはよくあることであった。甲斐 ( 山梨県 ) の英雄武田信玄は父親の武田信虎を追放し、織田信長は人望のあった弟の信行を殺した。

豊臣秀吉は あと継ぎの 鶴松が夭折 ( ようせっつ、幼いころに死ぬ ) したが、後に 甥の秀次 ( ひでつぐ、1568~1595 年 ) を 1591 年に養子に迎えた。 その 2 年後に愛妾の淀君に 「 秀頼 」  ( 1593~1615 年 )  が生まれると、秀次を高野山に追放し切腹させたが、享年 2 8 歳であった、下図は秀次。

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罪名は 「 謀反の罪 」 とされたが かなり疑わしい。 関白の地位にあった秀次を失脚させ、高野山で既に出家していたのに腹を切らせ、その首を京都の三条河原で 「 さらし首 」 にし、家族 妻妾 侍女 など 3 9 人もそこで処刑した。

ポルトガルの イエズス会宣教師の ルイス ・ フロイス ( 1532~1597 年、 長崎で没 ) が記した日本史によれば、秀次は

若年ながら深く道理と分別をわきまえた人で謙虚であり、物事に慎重で思慮深かった

とあるが、石田三成などの 「 讒訴、ざんそ、人を陥れるために悪く告げ口する 」 による 「 えん罪 」  の可能性が高いといわれている。

晩年の豊臣家の中で唯一の成人した親族であった秀次を殺したことで、豊臣家滅亡の一因ともなった。

猜疑心 ( さいぎしん、疑り深い性格 ) が強く   「 源 義経 」 を初め、愛妾の静御前 ( しずかごぜん ) が生んだ義経の長男を出産直後に鎌倉の海に沈めて殺し、叔父の源行家など多くの同族兄弟を殺したために、僅か 三代、3 0 年で滅んだ 「 源 頼朝 」 の鎌倉幕府と似ている。

チャン ・ ソンテク の場合も陰謀行為を理由に国家に対する反逆罪で死刑に処せられたが、事件の真相は 「 金政権 」  が崩壊するまで 不明のままであろう。

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2013年12月10日 (火)

55 年前の防空識別圏

私が アメリカ海軍飛行学校を卒業して帰国し、青森県八戸市にある海上自衛隊八戸航空基地に配属になったのは丁度 55 年前のことであった。対潜水艦哨戒機  ( P 2 V - 7 ) の第 3 操縦士 ( 航法士、ナビゲーター ) として勤務したが、当時は ソ連 ( ロシア ) との冷戦の最中であった。

日本に対する平和条約発効 ( 1952 年 ) から  6 年後の当時、自衛隊の  パイロット  ・  ナビゲーター にとって必要な航空関係の情報出版物 ( A I P 、Aeronautical Information Publication  ) といえば日本の 運輸省発行のものなど存在せず、航空路誌 (  ラドファック、 R A D F A C 、Radio Facility Chart ) ・ 計器進入図 ( Instrument  Approach Chart ) ・ 航法用 チャート などは、全て アメリカの D O D (  Department Of Defense 、国防省 ) 発行のものを使用していた。

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今回 11 月 23 日に中国政府が尖閣諸島を含む空域に防空識別圏 ( A D I Z ) を設定した際の マスコミ報道によれば、日本が1969 年 ( 昭和 44 年 ) に設定したように報道したものもあったが、私が知る限り1945 年に アメリカ占領軍が設定した防空識別圏 ( A D I Z、Air Defense Identification Zone ) が日本の周辺にすでに存在していた。

しかも防空識別圏には アウター A D I Z と インナー A D I Z の 二種類あったが、通常問題になったのは日本列島の外側 400 キロメートル付近に設定されていた アウター A D I Z のことであった。

青森県むつ市の近くの釜伏山 ( 標高 878 m ) には当時 A D C C  ( A i r  Defense Control Center )  があり、私も見学したことがあったが、防空識別圏内を日常訓練などで有視界飛行する場合には A D C C  / A D D C に対して、20 分毎に位置通報することが義務付けられていた。

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敵味方 不明機 ( ボギー、 Bogy )   が日本の防空識別圏に接近した場合には、航空自衛隊基地や米空軍基地から スクランブル緊急発進をしたが、迎撃戦闘機を ボギーに  インターセプト   ( 迎撃  )  させるための レーダー 管制をする A D D C ( Air Defense Direction Control ) などの レーダー ・ サイトが各地の離島や海岸近くの高所に多数存在していた。

今年の 11 月 26 日に米軍の B-52 爆撃機 2 機が中国が新設した防空識別圏を 2 時間にわたり飛行したが、中国側の発表によれば  「 米軍機の行動の一部始終を適切に モニターしていた 」 とのことであった

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地上からの レーダー電波の届かない空域を、早期警戒管制機、エイワックス ( A W A C S 、Airbor ne  early Warning  and Control System ) 機も飛ばさずに 行動を把握した などと発表したのは、警戒監視態勢の不備、体面を取り繕うための ウソに決まっている 。中国が 新設したばかりの防空識別圏内を飛行する米軍機の写真を、 この重要な時期に 1 枚も発表しなかったのが何よりの証拠であった。

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