反捕鯨教の信者
キャロライン ・ ケネディ大使は 2014 年 1 月 18 日に以下のように ツイートした。
米国政府は イルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています。
ある国の大使が駐在する国の文化に対して批判することは、 外交常識として極めて無礼な行為であるが 、大使の ポストを オバマから高額の カネで買った 素人外交官の キャロラインに、日本は舐められたものである。
http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-8c0e.html
インドでは人口の 81.4 パーセントを占める ヒンドゥー教徒は牛を聖なる動物と見なしていて、牛の肉を食べることはしない。写真は インドの町中を自由に歩く牛たち。
インドだけでなく ネパールの人口の約半数 ・ スリランカ の人口の 15 パーセント ・ バングラデシュの人口の 14 パーセント も ヒンドゥー 教徒であり、世界では ヒンドゥー教徒は 9 億人以上に達する。
もし仮に アメリカ駐在の インド大使が、
アメリカ人が神聖な牛を殺し食用にするのには反対である。屠殺場( とさつじょう、 Slaughter-house )に牛を運び入れて殺し、皮を剥ぎ肉を取る 非人道性について深く懸念する
という言葉を述べたならば、 アメリカ人はどう思うのか キャロラインは考えてみるがよい。「 他国の食文化に口を挟むな 」 と、アメリカ国内で大反発されるに違いない。
[ 非人道性の主張に対する反論、その 1 ]
参考までに アメリカは 19 世紀半ばまでの捕鯨の最盛期には、 7 百隻以上の捕鯨船を持ち大西洋 ・ 東太平洋の クジラを取り尽くしたために、ハワイの ホノルルや マウイ島 ラハイナ港を基地にして日本近海まで捕鯨をおこなった。
アメリカが捕鯨を中止したのは、 捕鯨が非人道的と認識されるようになったからでは決してない 。
アメリカの マサチューセッツ州 ニュー ・ ベッドフォードには クジラ博物館があり、私は訪れたことがある。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/torishima-1.htm#sokuseki
アメリカが捕鯨を止めたのは、1859 年に ペンシルバニア 州 オイル ・ クリークで エドウィン ・ ドレークが 「 石油井戸の機械掘り 」 に成功 したために、灯油に使う安い石油が大量に産出し流通するようになり、 鯨油の価格が暴落し 捕鯨の採算がとれなくなったからであった。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/han-hogei-1.htm#hanta1
[ 反論その2、残酷と決めるのは誰か? ]
イルカ ・ クジラを殺すのは 可愛そう ・ 残酷 であるというのであれば、同様に陸上の野生動物を殺すのも 同じ理由から禁止されなければならない 。
アメリカにおける狩猟者の全人口に対する比率は 4.6 % であるのに対して 、日本では狩猟免許の保有者数は全人口の 0.1 % に過ぎない 。
しかも狩猟者の平均年齢は アメリカ北東部では 40 歳代の働き盛りであるのに対して、日本では 60 歳代後半である。
つまり銃規制が極めて緩やかなことから、狩猟者の人口比率において日米との間に 46 倍もの開きがあり 、単純にいえばそれだけ野生動物を大量に殺していることになる。
イルカや クジラを 食用に殺すのが非人道的であり 、グリズリー ( 写真の巨大 ひぐま ) ・ ヘラ鹿や バッファロー を スポーツ ・ ハンティング ( 狩猟 ) や 娯楽のために殺すのがなぜ 人道的 (?) なのか理解しがたい 。
仏教でいう無益な殺生 ( せっしょう ) を知らぬ、キリスト教徒の傲慢さ、独善に他ならず、カトリック教徒の キャロラインもその同類である。
さらに付け加えれば、アメリカ国内どころか アフリカ大陸まで行き、 スポーツ ・ ハンテイング ( 狩猟 ) により アフリカ ・ ライオンを 最も多く殺し 、その毛皮などを アメリカに記念品として持ち帰るために輸出するのも、アメリカ人である。
これらの野生動物を殺す行為は彼らの主義主張からすれば、残酷 ・ かわいそう では無いらしいが、 なんとも身勝手で自己中心的な考え方である 。