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2014年3月11日 (火)

マレーシア航空機の行方不明

Mareishia

3 月8日未明に マレーシアの首都 クアラ ルンプールから北京へ向かう途中に、南 シナ海上空で姿を消した マレーシア航空 370 便 ( ボーイング 777―200 型機、乗客乗員 239 人 ) は、丸 3 日以上たった 11日になっても見つかっていないが、大型機が洋上に墜落した事故は過去に何度もある。

1 : エール フランス機

Erufuransu

2009 年 6 月のこと、ブラジルの リオ ・ デ ・ ジャネイロ発 フランス ・ パリ 行きの エールフランス 447 便 エアバス A  330が、高度 3 万 5千フィート( 11,500 メートル )を飛行中に、ブラジル北東部の大西洋上で レーダーから姿が消え消息を絶った。

ブラジル北東沿岸から約 1,100 キロメートルの ブラジル領海内の大西洋上に墜落したが、この事故で、乗員 12 名、乗客 216 名、計 228 名は全員死亡した。  事故機は離陸の約 4 時間後に、 雷雨を伴う激しい乱気流の空域に入った旨の運航乗務員からの連絡が ブラジルの管制官にあり、この交信が最後の交信となった。

2 : スイス航空機

墜落直前の交信記録が下記にある。

http://www.youtube.com/watch?v=DVn0MPgIEWQ

1998 年 9 月 2 日夜 アメリカの ニューヨーク発 スイス ・ ジュネーブ行きの スイス航空 111 便 M D-11 型機が、緊急着陸に備えて機体を着陸可能な重量以下に減らすために 燃料投棄 ( Fuel Dump ) 中に、 カナダ ・ ハリファクス 国際空港から約  67  キロメートル、の大西洋上に墜落した。

この事故で乗員 14 名、乗客 215 名、計 229 名全員が死亡したが、原因は操縦室と客室を隔てる部分付近の天井内にある 電気配線系統の火災によるものであった

パイロットにとって最も危険なのは機内の与圧喪失と、電気系統の火災である。機長が 6 ヶ月毎に受ける フライト ・ シミュレーターによる技量審査では、酸素 マスクの使用が不要となる安全な高度 ( 富士山頂の高度以下 ) への緊急降下の項目は必ず チェックされる。

結果論かも知れないが、私がこの便の機長だったら 「 発煙の事態 」 に直面し ハリファックスに着陸を決心した時点で、  We declare Emergency  ( 緊急事態を宣言する )   と共に、航空法や空港規則など無視して、燃料投棄空域であろうが なかろうが、降下中から直ちに燃料投棄を開始し ( M D-11 については知らないが、一般に 1 分間に  2 ~   4  トン の割合 )  、1 分でも早く着陸することを心がけたであろう。

航空法や空港規則を守ったが、しかし乗客乗員 229 名が全員死亡したのでは、何のための法律/規則 遵守かと言いたい。 緊急時にはそれから逸脱できる、と書いてあるではないか。 アメリカ連邦航空法  F A R  ( 14  C F R  ) ・ Part 91 ・ Section 3  参照

集団的自衛権を認めない平和憲法を死守したために、国が滅んだようなものである。国があっての憲法なのに。

下記の動画は 2010 年 5 月に ニューヨークの マンハッタンの西側 ニュージャージィ州にある  ニューアーク ・ リバティ 空港から東京へ向けて離陸した コンチネンタル航空機 ( ボーイング 777 型機 ) が、油圧系統の故障のために引き返し、 着陸直前まで人口密集地の上空でも燃料を投棄し続けた映像。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=uoUBWEqPu0Q

3  : ヴァリグ ・ ブラジル航空機

Varigbra

1979 年  1月のこと、成田発 ロサンゼルス行きの ヴァリグ ・ ブラジル航空の ボーイング 707 貨物機が太平洋上で行方不明になる事故があった。

午後 8 時 23 分に成田を離陸した飛行機は 30 分後に東京航空交通管制部へ位置通報をおこない、次の位置通報地点通過は午後 9 時 23 分と通報したのを最後に消息を絶った。乗員 6 名が犠牲になったが、海上保安庁 ・ 自衛隊の航空機による捜索でも 何の浮遊物も発見されなかった。

4 : フライング ・ タイガー機

Tigerline

事故機とは機種が異なるが、懐かしい機体塗装と尾翼のマーク

かつて アメリカに フライング ・ タイガー という航空貨物会社があったが、1962 年のこと、そのフライング ・ タイガー ・ ラインの 739 便が、飛行中に行方不明になる事故があった。

ベトナム戦争の最中に アメリカ軍 空輸 サービス ( 通称 マッツ、MATS、 Military Air Transport Service  )  から委託をうけた タイガー 機が、米本土から ベトナムの首都 サイゴン ( 現 ・ ホー ・ チーミン 市 ) へ、アメリカ軍兵士 93 名 ・ ベトナム軍兵士 3 名 ・ 乗組員 11 名を乗せてハワイ ・  グアムを経由して フィリピンの クラーク基地に向けて飛行中に、行方不明になった航空事故であった。

多くの航空機と船舶を動員して 1 週間にわたり捜索したがの痕跡も発見することが出来なかったため、 107 名全員は死亡したものと判断された。

フィリピン東方 1,300 キロメートルを航行していた船舶の乗組員から、1962 年 3 月 16 日午前 0 時 30 分 ( 現地時間 ) ごろ、空中で爆発があり二つの火の玉が海面に落下していくのを見たという証言があった。

それによりなんらかの原因で墜落したと推定されたものの、「 機体の破片という物証 」 を得られなかったため、事故原因も特定されることはなかった。

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