« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

2014年11月30日 (日)

O P E C 、減産せず

2014 年 11月 27 日のこと、 石油輸出国機構 ( オペック、O P E C 、Organization of the Petroleum Exporting Countries ) は オーストリアで開催された総会で、原油の生産目標を減産せず、現行の日産 3,000 万 バレルに据え置くことを決定した。

Opecsoukai

石油需給の減少を背景に、 シェール革命 ( Shale Revolution )   {  今まで困難であった シェール層から 石油や、天然 ガス ( シェール ガス ) の抽出が可能になったこと  }  により米国で原油生産が増加していることに加え、ロシアも生産調整を行わない見通しであることから、サウジアラビアや クウェートなどの湾岸諸国が減産に反対し、生産目標の据え置きが決定された。

Opec

今回の O P E C  総会の結果を受け、本年 7 月末では 1 バレル ( Barrel、樽 ) 100 ドル台だった原油 ( 先物 )価格が、11月 28 日には W T I ( West Texas Intermediate、テキサス州西部産出の低硫黄分の高品質原油価格 ) が 68 ドル台、イギリスの北海にある ブレント( Brent ) 油田産出の北海 ブレント原油価格 が 72 ドル台まで大きく下落した。

このことから 41 年前の第 1 次 オイルショックの頃を思い出した。当時は原油価格の急上昇であったが---。

当時、世界の石油市場は メジャー と呼ばれた欧米系の石油会社 、エクソン モービル、 ロイヤル・ダッチ・シェル、 アングロ イラニアン、 スタンダードオイル・ニューヨーク、 スタンダードオイル・カリフォルニア、 ガルフオイル、 テキサコの 7 社が支配していた。

Sevensisters

この 7 社は俗に ギリシャ神話に登場する 7 人姉妹の プレアデス ( Pleiades ) に由来して セブン ・ シスターズと呼ばれたが 、ここを経由しなければ産油国は世界に原油の輸出ができず、輸入する側も原油の輸入ができない状態であった。

景気の低迷から収益の悪化を恐れた メジャー  7 社は、1959 年 と 1960 年に産油国側と協議もせずに 一方的に原油の公示価格の引下げを実施した。そのため産油国では原油による収入が減少し、中東地域において不満が高まった。

そこで 1960 年に、イラク、イラン、サウジアラビア、ベネズエラ、クウェートの 5 ヶ国は、メジャーの市場支配に対抗して、石油輸出国機構 ( O P E C ) を結成したが、現在は 12 の産油国で構成されている。

これ以後 O P E C と メジャーの 力関係が逆転し 、メジャーは 石油市場に対する支配力を失って行った。それに追い打ちを掛けたのが 1973 年に起きた 第 4 次中東戦争であり 、O P E C  ( オペック、石油輸出国機構 ) が原油の価格を一方的に 70 % も引き上げることを決定した。

4jichuutou

それと同時に O A P E C ( オアペック、アラブ石油輸出国機構 )は、産出量を段階的に減らし、イスラエルの支援国家への輸出を停止することを発表した。これが第 1 次 オイルショックの原因となり、日本では 20 % の物価上昇 ( 狂乱物価 ) と  トイレットペーパー が品切れになる騒動が起きた。

イスラエル支援を国是とする アメリカ の国務長官 キッシンジャーは、

「 もしそういう事態 ( 石油の輸出禁止 ) になれば、アメリカは海兵隊を派遣して サウジアラビアの油田地帯を占領する」

と警告したため、サウジは石油の禁輸を回避したが、その 32 年前 ( 1941 年 8 月 ) に自分たち ( 米 ・ 英 ・ オランダ ) が日本に対して石油の輸出禁止をし、 これが日本をして戦争を決断させたことも忘れて---。

ところで昨日 暖房用灯油を買いに行ったところ、それまで 1 缶 ( 18 L ) 1,850 円だったものが 1,800 円に 50 円  ( 2.7  % )  だけ値下がりしていた。

今後も O P E C  による原油の生産過剰から、 ガソリンと共に灯油の価格は更に値下がりするであろう。円安の影響を考慮しても。

2014年11月 9日 (日)

納得が得られない話

Tomita1

韓国の仁川で9月~10月に行われた第 17 回 アジア大会の水泳会場で、9 月 25 日に韓国 メディアの カメラを盗んだとして、日本選手団に所属する水泳の冨田尚弥選手( 25 ) が韓国警察の事情聴取の際に、監視 カメラの ビデオ映像を見せられ、自らの盗みの犯行を認め、被害者とも示談が成立したため、略式起訴され罰金 10 万円相当を支払った。

Tomita3

日本選手団は冨田選手を選手団から追放すると共に、日本水泳連盟は冨田選手に対し2016  年  3 月 31 日までの選手登録停止処分をおこなっい、彼が所属していた スポーツ関連企業からは契約を解除された。

その事件から 1 ヶ月以上過ぎた 11 月  6 日に冨田選手は弁護士を伴い名古屋市内で記者会見を開き、仁川 アジア大会の会場で韓国人記者のカメラを盗んだ容疑を全面否定した。

Tomita2

カメラは アジア系の男が自分の腕をつかみ自分のかばんに入れたものであり、自分は盗んではいないし、犯行時間帯には アリバイがあると主張した。

「 自分が盗んでもいないのに、なぜ盗みを認めたのか ?」  という記者からの質問に対して、冨田選手の答は、「 僕が罪を認めれば軽い罪で済み、事が大きくなることはないだろうと韓国警察に言われたから 」 と説明した。

盗みの疑いをかけられた大卒の男が、皆と 一緒に日本に帰国したいから 「 やむなく盗みを認めた 」 などという説明は、誰も納得できるものではない。

この点について、日本オリンピック委員会 ( JOC ) の平真 事務局長によれば、「 監視カメラの映像を見た職員から、冨田選手が カメラを カバンに入れている姿を確認したと報告を受けている 」 と述べ、事情聴取には JOC 職員と、日本語に堪能な通訳が付き添っていたとしている。

韓国検察から判決の写しが送付されるので、七日以内に再審請求をするらしいが、カメラから レンズを外し、カメラ 本体だけを持ち去ったとする犯行現場の監視 カメラの ビデオ映像が決め手になるであろう。

« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »