O P E C 、減産せず
2014 年 11月 27 日のこと、 石油輸出国機構 ( オペック、O P E C 、Organization of the Petroleum Exporting Countries ) は オーストリアで開催された総会で、原油の生産目標を減産せず、現行の日産 3,000 万 バレルに据え置くことを決定した。
石油需給の減少を背景に、 シェール革命 ( Shale Revolution ) { 今まで困難であった シェール層から 石油や、天然 ガス ( シェール ガス ) の抽出が可能になったこと } により米国で原油生産が増加していることに加え、ロシアも生産調整を行わない見通しであることから、サウジアラビアや クウェートなどの湾岸諸国が減産に反対し、生産目標の据え置きが決定された。
今回の O P E C 総会の結果を受け、本年 7 月末では 1 バレル ( Barrel、樽 ) 100 ドル台だった原油 ( 先物 )価格が、11月 28 日には W T I ( West Texas Intermediate、テキサス州西部産出の低硫黄分の高品質原油価格 ) が 68 ドル台、イギリスの北海にある ブレント( Brent ) 油田産出の北海 ブレント原油価格 が 72 ドル台まで大きく下落した。
このことから 41 年前の第 1 次 オイルショックの頃を思い出した。当時は原油価格の急上昇であったが---。
当時、世界の石油市場は メジャー と呼ばれた欧米系の石油会社 、エクソン モービル、 ロイヤル・ダッチ・シェル、 アングロ イラニアン、 スタンダードオイル・ニューヨーク、 スタンダードオイル・カリフォルニア、 ガルフオイル、 テキサコの 7 社が支配していた。
この 7 社は俗に ギリシャ神話に登場する 7 人姉妹の プレアデス ( Pleiades ) に由来して セブン ・ シスターズと呼ばれたが 、ここを経由しなければ産油国は世界に原油の輸出ができず、輸入する側も原油の輸入ができない状態であった。
景気の低迷から収益の悪化を恐れた メジャー 7 社は、1959 年 と 1960 年に産油国側と協議もせずに 一方的に原油の公示価格の引下げを実施した。そのため産油国では原油による収入が減少し、中東地域において不満が高まった。
そこで 1960 年に、イラク、イラン、サウジアラビア、ベネズエラ、クウェートの 5 ヶ国は、メジャーの市場支配に対抗して、石油輸出国機構 ( O P E C ) を結成したが、現在は 12 の産油国で構成されている。
これ以後 O P E C と メジャーの 力関係が逆転し 、メジャーは 石油市場に対する支配力を失って行った。それに追い打ちを掛けたのが 1973 年に起きた 第 4 次中東戦争であり 、O P E C ( オペック、石油輸出国機構 ) が原油の価格を一方的に 70 % も引き上げることを決定した。
それと同時に O A P E C ( オアペック、アラブ石油輸出国機構 )は、産出量を段階的に減らし、イスラエルの支援国家への輸出を停止することを発表した。これが第 1 次 オイルショックの原因となり、日本では 20 % の物価上昇 ( 狂乱物価 ) と トイレットペーパー が品切れになる騒動が起きた。
イスラエル支援を国是とする アメリカ の国務長官 キッシンジャーは、
「 もしそういう事態 ( 石油の輸出禁止 ) になれば、アメリカは海兵隊を派遣して サウジアラビアの油田地帯を占領する」
と警告したため、サウジは石油の禁輸を回避したが、その 32 年前 ( 1941 年 8 月 ) に自分たち ( 米 ・ 英 ・ オランダ ) が日本に対して石油の輸出禁止をし、 これが日本をして戦争を決断させたことも忘れて---。
ところで昨日 暖房用灯油を買いに行ったところ、それまで 1 缶 ( 18 L ) 1,850 円だったものが 1,800 円に 50 円 ( 2.7 % ) だけ値下がりしていた。
今後も O P E C による原油の生産過剰から、 ガソリンと共に灯油の価格は更に値下がりするであろう。円安の影響を考慮しても。