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2014年12月24日 (水)

クリスマスイブの感想

今夜は クリスマスイブ、昭和 30 年代 ( 1955 ~ 1964 年 ) のことを思い出すと、当時の日本では クリスマス イブ ともなると キャバレーなどでは パーティー券を売り、酒に酔った サラリーマンたちが仮装の帽子などを被り ダンスをし、水商売の街を歩いていた。

Tongariboushi

私は昭和 32 年 ( 1957 年 )  1 月 に  アメリカ  フロリダ州  ・  ペンサコラにある海軍飛行学校に約  二年間留学したが、そこで見た クリスマス イブ とは家族連れで教会に行く人たちの姿であり、日本の正月のように普段は遠くにいる娘や息子たちが家に帰り、家族そろって クリスマス を祝い、町で酒を飲んで騒ぐ人たちなど、どこにもいなかった。

それから 57 年が過ぎたが、今日買い物に行った老妻によれば、近くの デパート の食品売り場や ケンタッキー   フライドチキンの店では、鳥の唐揚げが飛ぶように売れていたとのことであった。

当時の アメリカでは詰め物をした 七面鳥  ( しちめんちょう、 ターキー、Turkey ) の丸焼きが イギリス系住民にとって クリスマス料理の定番であり、これは 11 月の第 4 木曜日に当たる感謝祭 ( サンクスギビングデイ、 Thanksgiving Day ) においても定番料理であった。

Turkeydish

七面鳥の肉を食べた感想としては脂肪分が少なく、やや パサパサ した食感がしたことを記憶している。

ではなぜ 七面鳥なのか?。その理由は信仰の自由を求めて 1620 年に イギリスからメイフラワー号に乗り、北米 マサチューセッツ 州の プリマスに移住したした 102 人の ピルグリム ・ ファーザーズ ( Pilgrim Fathers ) にとって、当時 容易に捕獲できたのが 七面鳥だったからともいわれている。( 下図の矢印 )

Shichimenchou

日本では入手困難な七面鳥に代わり、「 にわとり 」 が使われるようになった。

日本各地の各家庭では---信仰心はさて置き--- クリスマス イブには それにちなんだ ご馳走や クリスマスケーキを食べる習慣になったが、文化庁発行の宗教年鑑 ( 平成 23 年 ) によれば、明治 6 年 ( 1873 年 ) に キリスト教が解禁されて以来 141 年経つが、 信者数は僅か 192 万人 、人口比で  1 ~ 1.5  % に過ぎない。

キリスト教にとって不毛の地 日本では 、クリスマス イブになると突如 「 隠れ キリシタン 」 が現れて (?) 、 ケーキ屋と カーネル ・ サンダースの店 ( ケンタッキー  ・  フライド  ・  チッキン ) が大繁盛する。

2014年12月18日 (木)

ナッツ ・ リターンの祖父

12月5日に ニューヨーク J F K 空港から ソウル ( 仁川 ) 行きの大韓航空の 86 便に乗客として搭乗した副社長の趙顕娥 ( チョ ・ ヒョナ ) が、ナッツを皿に盛らずに袋のままで提供した客室乗務員の態度に腹を立て、離陸に向けて走行していた旅客機を駐機場に戻し、この乗務員を機内から降ろす事件が起きた。

この乗務員が12日、韓国 K B S テレビの取材に対して、趙副社長に侮辱されたことを明かし、乗務員は同僚と趙氏の前で 土下座をして許しを求めたが  、彼女に機内にあった雑誌の角を手の甲に突き立てられたこと、彼女が 「すぐに機長に ( 地上走行を ) 停止させろ。離陸を阻止する 」  と叫んだことも話した。

Chichimusume

上の写真はナッツ  ・  リターン  ( Ramp out Return ) の父親と本人。

乗務員によると、事件発覚後に 5-6 人の同社幹部が自宅を訪れ、「 趙副社長から暴言を浴びせられたことを否定し、自ら進んで飛行機を降りた 」 と偽証するよう要求されたという。

趙副社長は 12 日、事件について謝罪するとともに、大韓航空を含め韓進 グループ 子会社のすべての職務を辞任することを表明した。

ところでその昔、大韓航空会長の職にあった 品性下劣な男 を ホンコンから成田まで運んだことがあったが、チェック ・ ラップ ・ コック ( Chek Lap Kok ) 国際空港が開設される前のことであった。その 孫娘 が今回の事件の主役、趙顕娥 (チョ  ・  ヒョナ、40 歳 ) であった。

祖父の行為については下記にある。

http://good-old-days.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_0b5a.html

2014年12月 9日 (火)

最後の高齢者運転講習

来年 4 月に 82 歳になる私の所へ、例の 三年毎に送られて来る 「 高齢者講習のお知らせ 」 ハガキ が届いたが、あと 3 年以上は生きられないので、これが私にとって最後の運転免許更新になるであろう。

Hagaki

ハガキによると満 75 歳以上の者は免許の更新手続きをする前に、

1: 「 講習予備検査 」 の受験、手数料 650 円 および

2: 「 高齢者講習 」 の受講、手数料 5,350円

の合計 六千円が必要であることが分かったが、以前より 150 円ほど安くなっていた。

しかしこれで済むわけではなく運転免許 センターで更新手続きをする際には、更に手数料として 2,500 円が必要であり、合計 8,500 円が必要である。これは アメリカで老人が運転免許の更新をする費用の実に  2.5 倍 も高額である。

なぜそうなるのか、理由は少子高齢化の時代となり 自動車学校経営者と警察官僚が グル になって 、平成 14 年 ( 2002 年 ) に 高齢者講習という集金制度 を作り上げ、貧しい暮らしの 70 歳以上の運転免許保有老人たち ( 772 万人 ) から毎年約 100 億円もの カネ を絞り取ってきたからであった。

私の知る限り世界の国々で、老人に対して高齢者講習を義務付けている国は日本以外には存在しない。

高齢者による事故が頻繁に報道されることで 「 高齢者の運転は危険 」 とする空気が作られつつあるが、よく考えれば高齢者人口が増えれば、それに伴い高齢者の事故件数が増えるのは当然だが、高齢者の事故率が増えることでは決してない。まずは下記を読んで頂こう。

http://www.hey.ne.jp/~ok/driver.htm#koushin

さらに交通安全に関する  O E C D ( Organization for Economic Cooperation and Development : 経 済 協 力 開 発 機 構 ) の 「 年次  レポート 2014 」  を見てみると、

日本の自動車乗用中の安全率は世界一 を実現しているが  高齢者の 歩行中の事故死者 はとびぬけて多い

としている。まずは O E C D が出した、年次報告の 2014 を見て頂こう。

http://spaceglow.wordpress.com/2014/07/30/%e4%ba%a4%e9%80%9a%e5%ae%89%e5%85%a8%e3%81%ab%e9%96%a2%e3%81%99%e3%82%8boecd%e3%81%ae%e5%b9%b4%e6%ac%a1%e3%83%ac%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%88%ef%bc%92%ef%bc%90%ef%bc%91%ef%bc%94%e3%82%92%e8%a6%8b/

日本の 高齢事故死者の約  65 %  が 歩行者 であることから、日本では高齢者が歩行に頼る交通を利用している ( 公共交通機関を利用しても歩行は必ず伴う ) ことが大きな原因である。

その証拠の一つとして、日本の 75 歳以上の運転免許保持率が、O E C D の他の諸国に比べて 少ないこと もその 一因である

しかるに日本の警察庁の発表では上記の事故態様について全く触れず、 高齢の 「 歩行者 」 ではなく  「 高齢者 ドライバーが危ない 」 として高齢者による車の運転を止めさせるように指導しているのは、本末転倒である。

なお警察庁発表の 「運転免許統計」 によると、都道府県の公安委員会が認定した指定自動車教習所の卒業者数は平成 23 年 ( 2011 年 ) には約 156 万人であったが、平成14 年 ( 2002年 ) と比べると約  40 万人も減っている。それに伴い、教習所はこの 10年で 100 校以上が廃業に追い込まれた

これは当然のことながら、警察官の天下り ・ 再就職の機会の減少を意味するが、もし高齢者講習制度がなかったならば、最近の若者の車離れにより自動車教習所は壊滅的状態に陥ったであろう。 

高齢者を 「 カネの成る木 」 とみなす警察行政が 、今後運転免許更新のたびに さらに高額な カネ を ムシリ 取る方向に向かうのではないかと心配している。

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