クリスマスイブの感想
今夜は クリスマスイブ、昭和 30 年代 ( 1955 ~ 1964 年 ) のことを思い出すと、当時の日本では クリスマス イブ ともなると キャバレーなどでは パーティー券を売り、酒に酔った サラリーマンたちが仮装の帽子などを被り ダンスをし、水商売の街を歩いていた。
私は昭和 32 年 ( 1957 年 ) 1 月 に アメリカ フロリダ州 ・ ペンサコラにある海軍飛行学校に約 二年間留学したが、そこで見た クリスマス イブ とは家族連れで教会に行く人たちの姿であり、日本の正月のように普段は遠くにいる娘や息子たちが家に帰り、家族そろって クリスマス を祝い、町で酒を飲んで騒ぐ人たちなど、どこにもいなかった。
それから 57 年が過ぎたが、今日買い物に行った老妻によれば、近くの デパート の食品売り場や ケンタッキー フライドチキンの店では、鳥の唐揚げが飛ぶように売れていたとのことであった。
当時の アメリカでは詰め物をした 七面鳥 ( しちめんちょう、 ターキー、Turkey ) の丸焼きが イギリス系住民にとって クリスマス料理の定番であり、これは 11 月の第 4 木曜日に当たる感謝祭 ( サンクスギビングデイ、 Thanksgiving Day ) においても定番料理であった。
七面鳥の肉を食べた感想としては脂肪分が少なく、やや パサパサ した食感がしたことを記憶している。
ではなぜ 七面鳥なのか?。その理由は信仰の自由を求めて 1620 年に イギリスからメイフラワー号に乗り、北米 マサチューセッツ 州の プリマスに移住したした 102 人の ピルグリム ・ ファーザーズ ( Pilgrim Fathers ) にとって、当時 容易に捕獲できたのが 七面鳥だったからともいわれている。( 下図の矢印 )
日本では入手困難な七面鳥に代わり、「 にわとり 」 が使われるようになった。
日本各地の各家庭では---信仰心はさて置き--- クリスマス イブには それにちなんだ ご馳走や クリスマスケーキを食べる習慣になったが、文化庁発行の宗教年鑑 ( 平成 23 年 ) によれば、明治 6 年 ( 1873 年 ) に キリスト教が解禁されて以来 141 年経つが、 信者数は僅か 192 万人 、人口比で 1 ~ 1.5 % に過ぎない。
キリスト教にとって不毛の地 日本では 、クリスマス イブになると突如 「 隠れ キリシタン 」 が現れて (?) 、 ケーキ屋と カーネル ・ サンダースの店 ( ケンタッキー ・ フライド ・ チッキン ) が大繁盛する。
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コメント
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ターキーの歴史はともかく 1 年の時 クリスマスの日に大橋さんと梶山さんにつれられて呉のある教会へ行き、初めて歌ったり、女性としゃべったりしました。僕は武原と違い、その場の雰囲気に馴染めなかったのを鮮明に覚えています。
投稿: 坪井 禧明 | 2014年12月26日 (金) 22時10分
「鴨がネギを背負って」の絵。捕獲しやすかったのだな。教えていただいた。
投稿: | 2014年12月27日 (土) 22時08分
クリスマスで思い出すのは、丁度30年ほど前ハンブルグで研修中のとき、イブの日も日本と同じようなものと思い食事に出たところ、どの店も閉店しており、道行く人に食事をするところを聞いたところ、駅の売店ならば開いていると聞き、駅でパンを買い、一人寂しくアパートで食事をした苦い経験を思い出します。
投稿: 武原通世 | 2014年12月28日 (日) 06時52分