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2015年7月31日 (金)

小型機の事故原因に思う

1 : 飛行目的がパイロットの慣熟( Familiarization )であろうと遊覧飛行であろうと、事故原因とは直接関係がない。

2 : 機体の所有会社 ・  整備担当会社 ・ 運航担当会社がそれぞれ異なるのは小型機の運航ではよくあることで、事故原因とは直接関係ない。下の写真は事故機ではなく、他社の同型機。

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3 : 当日の気温が 30 度 ( ISA+ 15 度 ) だろうが 35 度 ( ISA+ 20 度 ) だろうが、許容最大離陸重量が減少 ( もしくは離陸距離が伸びる ) するものの、事故の原因とは直接関係ない。

I S A  とは  I C A O  (  国際民間航空機関、 International Civil Aviation Organization )  の定める国際標準大気 ( International Standard Atmosphere ) のこと。

なぜなら機長が当日の飛行計画作成の際に、当然 ウエイト & バランス( Weight & Balance、機体重量と重心位置 ) を確認し、滑走路長 800 メートル、標高 42 m ( 139 フィート )、当該 外気温度における 許容最大離陸重量以内であることを確認するはずだからである

4 : 伊豆大島まで往復 1 ~ 2 時間前後の フライトに、燃料を 5 時間分 積もうが、事故の原因とは直接関係ない。

5 : 小型 プロペラ機 パイパー ( PA 46-350 P )  の事故機は、 1989年 ( 平成元年 ) に製造され 27 年経過した古い機体 のようであるが、車 と同様に古くなると各部の経年劣化  ・ 金属疲労による故障が生じる可能性が高くなる。

2004年10月、札幌市の丘珠( おかだま )空港で着陸に失敗して機首部分から接地する事故を起こし、修理後の2005年には、自衛隊機に異常接近する トラブルが起きたそうだが、今回の事故とは関係ない。

6 : 機長が当日の離陸前に エンジンの ランアップ ・ チェック ( Run up check、離陸出力に近い エンジン出力を出して エンジンの回転数 ・油温 ・シリンダー温度などの計器示度の確認 ) をしなかったとしたら、離陸滑走中の エンジン故障とは 大いに関係がある 。写真は同型機の フライト ・ シミュレーターの操縦 ・ エンジン計器。

Instpanel

7 : 私は海上自衛隊で 3,500 時間、民間航空で 14,500 時間の、合計 1 万 8 千時間 飛行したが、パイロットにとって最も嫌な離陸直後の エンジン故障   ( 出力喪失 ) を経験したのは、 3 6 年間の パイロット生活で僅か 1 回だけであった。

これがもし単発機であったならば私の人生はこれで終わりの可能性もあったが、3 発機のため 出力に余裕があったので、航空管制上の緊急事態を宣言せずに出発空港に戻った。

http://www.hey.ne.jp/~ok/jumon.htm#buriifu

8 : 機長はそういう事態に備えて半年毎に フライト ・ シミュレーター ( Flight Simulator、模擬飛行装置 ) による操縦技量審査を受けているが、 飛行機の エンジンはそれほど信頼性があり、まともな会社であればそのための整備 ・ 点検を毎日十分におこなっている。

9 : 私の予想する事故原因は、 ( イ )  機長の怠慢による離陸性能の確認を含めた離陸前の  チェック  ミス、もしくは ( ロ ) 離陸滑走中の  エンジン故障である。

Tsuirakugenba

 

 

2015年7月26日 (日)

川上村出身の宇宙飛行士

宇宙飛行士 油井亀美也 ( ゆい きみや )  さん ( 45 )  ら 3 人が搭乗する ソユーズ宇宙船を載せた ロケットが 7 月 23 日午前 3 時 2 分、国際宇宙 ステーションに向けて カザフスタンにある バイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。

Docking

上方に見えるのが ソユーズ宇宙船で手前にあるのが国際宇宙ステーション。ここに ドッキング ( Docking ) するところ。

宇宙船は打ち上げの 9 分後に予定通り ロケットから分離され打ち上げは成功したが、約 6 時間かけて高度約 400 キロの宇宙 ステーションに近づき、日本時間午前 11 時 45分に ドッキングに成功した。

初飛行の油井さんは今年の 12 月まで 5 カ月間宇宙に滞在し、日本の実験棟 「 きぼう 」 での科学実験や ステーションの運用に従事する予定との事だが、油井さんに関する報道の際に彼が長野県の川上村の出身であることを知った。

私が長野県 南佐久郡 川上村を初めて訪れたのは 旧制中学 ( 後の新制高校 併設中学 )  3 年生だった 1948 年 ( 昭和 23 年 ) のことであった。

Koumisen

日本一 標高の高い J R 鉄道駅と言えば、長野県の小淵沢 ( こぶちざわ ) から小諸 ( こもろ ) に通じる  小海線  ( こうみせん ) の 「 野辺山駅 」 ( のべやまえき、標高 1,345.67 m ) が有名である。

その一つ 小諸 寄りにあるのが 「 信濃川上駅 」 ( 標高 1、135.3 m ) で、J R の駅のうち日本で四番目に標高の高い駅であった。

登山部に所属していた私は、甲州 ( 山梨県 ) ・ 武州 ( 埼玉県 ) ・ 信州 ( 長野県  )の境にある甲武信岳 ( こぶしだけ、2475m )に登るために先輩たちと一緒に駅から バスに  20 分乗り、登山口に近い川上村にある白木屋旅館に前泊した。

当時は敗戦後の食料難の時代だったので、旅館や山小屋に泊まる際には 「 米を持参 」 する必要があった。 旅人の場合は 1 泊  2 食で 米  3 合、登山者は御飯を多く食べるので 4 合、さらに弁当を頼むと 1 泊 5 合の米 が必要であった。

ちなみに当時 米は配給制で 一人 1 日 2 合 5 勺  ( しゃく ) であった。

標高 1,300 m   前後の高地にある川上村は気温が低く米がほとんど収穫できずに、みるからに貧しそうな村であった。ちなみに夏の避暑地である軽井沢駅の標高は 940 m 、関西の人におなじみの六甲山頂の標高は 932 m である。

Gensei

その川上村を私が 三度目に訪れたのは、東京に転勤中の昭和 55 年 ( 1980 年 ) のことであった。単独の山行きで 前述した白木屋旅館を早朝に立ち、 十文字峠 (  標高 2035 m  ) を越えて埼玉県側にある奥秩父の登山基地である大滝村 栃本 ( とちもと ) 部落 まで、6 里 ( 24 キロ ) の原生林の山道を約 10 時間かけて歩いた。

時代の変化に伴う 川上村の移り変わりについて、詳しくは下記にある。

http://www.hey.ne.jp/~ok/chichibu.htm#touge


2015年7月 1日 (水)

墓地か公園で自殺しろ

バカ  な 71 歳の男が 6 月 30 日に新幹線 「 のぞみ 225 号 」 の車内で ポリタンクに入れた ガソリンを浴びて、ライターで点火して焼身自殺をした。 巻き添えを食った 52 歳の女性客が死亡し、26 人の乗客が救急搬送され、うち 7 人が入院した。新幹線も46本が運休した。

焼身自殺をしたければ何も新幹線などに乗らずに、なるべく他人に迷惑を掛けぬように自宅のある東京 ・  杉並区内にある寺の墓地か公園 ・ 区内を流れる善福寺川の 川岸ででも自殺しろ。

今から 50 年前のこと、ANA の パイロット訓練所は大阪府 ・ 八尾市にある八尾空港のそばにあった。そこで事務員をしていた元 極東航空 パイロットの  A  さんは顔にひどい「 ヤケドの痕 」  があった。

彼によれば 1954 年 ( 昭和 29 年 )  2 月のこと、八尾空港から単発 ・ 小型 ・ 高翼の オースター ・ オートカー (Auster Autocar ) 機 ( 写真 ) で遊覧飛行の乗客 1 名を乗せて離陸した。

飛行中に、破裂音がしたので後を見ると、後部座席にいた乗客の男 ( 26 歳 ) が マグネシウム などの薬品で 「 火だるま 」 になっていた。パイロットの  A  さんはとっさに急降下して、前方の 大和川近くの水田に不時着した。

Austerautocar

A さんは重傷の ヤケドを負ったものの助かることができた。死亡した男は搭乗前に 100 万円の航空保険   (  現在の貨幣価値に換算して 3  千万円  )  を掛けてていて、家族に残す計画だったとみられていたが、極東航空会社は自殺を理由に、遺族に対し航空保険金の支払いを拒絶した。

 

1959 年 (  昭和  34 年 ) 1  月には、ANA  の大分発 大阪行きの DC-3 型機の トイレ に新婚旅行中の男 ( 31 歳 ) が ダイナマイト を仕掛けて、機内から飛び降り自殺をした。幸運にも雷管が不発で被害を免れたが、神経衰弱が原因とされた。

ダイナマイト 持参で新婚旅行に行き 新婦を飛行機事故で殺す計画だったとは、これまで聞いたことがない。しかも 一緒に旅行に行きながら---。

同じ年の 3 月のこと、徳島-大阪間を飛行する日東航空の水上機 「 デ ・ ハビランド ・ ビーバー 」 型機の飛行中の機内で、ガソリンをまいて火を付けようとした 38 歳の男が乗客に取り抑えられた。原因は勤務先の 農協の カネ を使い込み、ヤケ になっての犯行であった

古い話ばかりでなく 2002 年 ( 平成 14 年 ) 5 月のこと、北京発 大連行きの中国北方航空 6136 便  ( マクドネル ・ ダグラス MD-82型機、旧名 DC-9 ) が、大連空港から東に約20kmの海上に墜落した。

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この事故で、乗員 9 人と乗客 103 人のあわせて 112 人全員が死亡したが、乗客には日本人 3 人も含まれていた。事故原因は乗客である 37 歳の男が、機体後部で放火したものと断定された。

この男は 140 万人民元 ( 当時の日本円で約  2,100 万円 ) という異常に高額な航空傷害保険に加入しており、事業に失敗して抱えた負債を清算するために保険金目当ての自殺であったとされた。

2014 年 2 月 17 日のこと、アラブ首長国連邦 ( UAE ) の エティハド 航空  ( Etihad Airways ) の機内で飛行中に 二箇所の トイレ の煙探知機が相次いで作動する トラブル があり、同機は インドネシアの ジャカルタ に緊急着陸した。

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乗客の話として、「 ものすごく煙たかった。機内中に煙が充満しているようだった 」 と伝えている。同機は ジャカルタ で機内の捜索や乗客と手荷物の検査を行った後、アブダビに向けて出発した。この時点で降ろされた乗客がいたかどうかは不明。

ところが アブダビ到着の 2 時間前になってまた、トイレの煙探知機が作動した。これを受けて客室乗務員は通常の機内 サービスを中止し、各  トイレを監視して乗客の利用に目を光らせた。

エティハド 航空によれば、アブダビの治安当局は乗客 12 人を拘束したが、逮捕には至っていないという。

同航空の発表では放火の可能性については言及していない。しかし複数の乗客が、ジャカルタ着陸の際に、 何者かが機内で放火したという説明があったと証言している

アブダビ では全乗客と乗員が当局の事情聴取を受けた。オーストラリアの新聞は、女性の乗客 1 人が容疑をかけられていると報道。一方、乗客によれば、中東系の男性 2 人が  アブダビで警察に拘束されたと話している。

他人の迷惑を考えない  「 バカ 」  と 、 「 テロリスト 」 には  お互いに気を付けましょう。

 

 

 

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