川上村出身の宇宙飛行士
宇宙飛行士 油井亀美也 ( ゆい きみや ) さん ( 45 ) ら 3 人が搭乗する ソユーズ宇宙船を載せた ロケットが 7 月 23 日午前 3 時 2 分、国際宇宙 ステーションに向けて カザフスタンにある バイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。
上方に見えるのが ソユーズ宇宙船で手前にあるのが国際宇宙ステーション。ここに ドッキング ( Docking ) するところ。
宇宙船は打ち上げの 9 分後に予定通り ロケットから分離され打ち上げは成功したが、約 6 時間かけて高度約 400 キロの宇宙 ステーションに近づき、日本時間午前 11 時 45分に ドッキングに成功した。
初飛行の油井さんは今年の 12 月まで 5 カ月間宇宙に滞在し、日本の実験棟 「 きぼう 」 での科学実験や ステーションの運用に従事する予定との事だが、油井さんに関する報道の際に彼が長野県の川上村の出身であることを知った。
私が長野県 南佐久郡 川上村を初めて訪れたのは 旧制中学 ( 後の新制高校 併設中学 ) 3 年生だった 1948 年 ( 昭和 23 年 ) のことであった。
日本一 標高の高い J R 鉄道駅と言えば、長野県の小淵沢 ( こぶちざわ ) から小諸 ( こもろ ) に通じる 小海線 ( こうみせん ) の 「 野辺山駅 」 ( のべやまえき、標高 1,345.67 m ) が有名である。
その一つ 小諸 寄りにあるのが 「 信濃川上駅 」 ( 標高 1、135.3 m ) で、J R の駅のうち日本で四番目に標高の高い駅であった。
登山部に所属していた私は、甲州 ( 山梨県 ) ・ 武州 ( 埼玉県 ) ・ 信州 ( 長野県 )の境にある甲武信岳 ( こぶしだけ、2475m )に登るために先輩たちと一緒に駅から バスに 20 分乗り、登山口に近い川上村にある白木屋旅館に前泊した。
当時は敗戦後の食料難の時代だったので、旅館や山小屋に泊まる際には 「 米を持参 」 する必要があった。 旅人の場合は 1 泊 2 食で 米 3 合、登山者は御飯を多く食べるので 4 合、さらに弁当を頼むと 1 泊 5 合の米 が必要であった。
ちなみに当時 米は配給制で 一人 1 日 2 合 5 勺 ( しゃく ) であった。
標高 1,300 m 前後の高地にある川上村は気温が低く米がほとんど収穫できずに、みるからに貧しそうな村であった。ちなみに夏の避暑地である軽井沢駅の標高は 940 m 、関西の人におなじみの六甲山頂の標高は 932 m である。
その川上村を私が 三度目に訪れたのは、東京に転勤中の昭和 55 年 ( 1980 年 ) のことであった。単独の山行きで 前述した白木屋旅館を早朝に立ち、 十文字峠 ( 標高 2035 m ) を越えて埼玉県側にある奥秩父の登山基地である大滝村 栃本 ( とちもと ) 部落 まで、6 里 ( 24 キロ ) の原生林の山道を約 10 時間かけて歩いた。
時代の変化に伴う 川上村の移り変わりについて、詳しくは下記にある。
http://www.hey.ne.jp/~ok/chichibu.htm#touge
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コメント
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新聞で川上村とあったので一瞬ぼくの3歳から12歳まで住んだ岐阜県恵那郡落合村の隣村かと思いました。現在はどちらも中津川市。なおぼくの長兄も山岳部出身、まだプロペラ機時代の第2次ランタンリルン遠征隊隊長でした。
投稿: 坂田保孝 | 2015年10月 7日 (水) 03時53分