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2016年9月17日 (土)

最後の北海道旅行 ( その 2 )

私が初めて北海道を訪れた昭和 3 4 年 ( 1959 年 ) 当時の未舗装の道路の件については前回述べたが、道路の悪さは何も北海道だけに限ったことではなく、昭和 2 4 年 (1949 年 ) 二月号の科学雑誌  「 科学朝日 」 には道路調査の結果がある。

それによれば、東京から名古屋までの東海道 ( 交通の大動脈、国道 1 号線 ) の舗装率は 4 0 パーセント 程度であった。まとまって舗装  してあったのは東京から箱根の 「 宮ノ下 」  までと、富士川  ・  安倍川 間の 静岡付近、それに名古屋 の 手前 の わすかな距離 だけだった。

あとは町の中だけでも舗装  してあればま  しな方で、大部分は荒れ放題の砂利道だったとあった。

アメリカ占領軍の専門家が日本の道路のあまりのひどさを見て、「 この国にあるのは 道路ではなく、道路予定地ばかりだ 。これほど道路建設を軽視  した工業国はないだろう 」  と 感嘆 ( ? )  したそうだが、昔の道路事情を知る者にとって、現在の道路網の整備 ・ 発達は文字通り 隔 世 の感が した。

言い忘れたが今回の旅行には 4 年前に軽い脳梗塞を起こ  した私 と、去年背骨の圧迫骨折を した老妻 のために、横浜に住む大学生の孫を ボディー ・ ガード と  して連れて行くことに  した。

Jijibaba

札幌にある スキー の ノーマル ヒル( Normal Hill ) ジャンプ 台のある大倉山  シャンツェ  は以前  下から見たことがあるが、孫が初めてなので市内観光 バ ス に乗って行 く ことに   した。

バ ス を降りてから リフ ト の乗り場に向かう私の後姿を見て、8 3 歳であることを聞 いた バスガイ ド が老妻に、「 一人で大丈夫ですか ?」 と聞 いたので、孫が護衛 に付いている旨を答えたとの ことであった。

自分では未だ足腰が しっかり しているつもりでも、他人が見ると ヨ ボ ヨ ボ の 「 じ じ い 」 に見えたのに違 いない。そう言われてみれば 大阪からの往復の飛行機 ・ ホテル ・ 観光 バ ス の中で、ハ ゲ と白髪頭の私よりも年上と思われる 老人 にはお目に掛からなかった。

リ フ ト で上りながら ジャンプ 台を見ると 4 0 度近くある助走帯 ・ 着陸帯の傾斜のすごいこと ! 。 「 白い棒 」 のように見える レール の上方から滑降を開始するが、1 2 0 メートル もの距離をよ く 飛べるものだと 感心  した。

Chakuchitai

こんな傾斜を滑降  し 2014 年の ソチ ・ オリンピック 日本代表。2013 年  ( 17 歳  ) 世界選手権混合団体金 メダリスト、個人銀 メダリスト。スキー ジャンプ ・  ワールド カップ でこれまで女子の歴代最多の 4 4 勝  した、高梨沙羅 ちゃんの度胸 の良さには感心  した。

Janpudai

スタート地点の上にある展望台から  ジャンプ 台を見ると、高所からの眺めには慣れて いたはずの私でも、 あそこ が縮み上がった。

ところで 高所恐怖症 の人は パイロット になれないと思うのは間違 いで、私の友人のパイロット に奈良県 ・ 吉野郡 ・ 十津川村にある 谷瀬  ( たにぜ ) の吊り橋、長さ 2 9 7 メートル、高さ 5 4 メートルを、 恐ろ し く て 1 0  メートル  しか渡れずに引き返  した男がいた。

Ferriswheel

一説によれば 地表と  直接  ・  間接的  ( 例えば観覧車 )  に接  して いると高所に 恐怖を感  じるが、地表との 縁が切れると、恐怖感が無 く なると いわれて いる。

その証拠には飛行中の 飛行機の窓から下の景色を見 て 高所恐怖 を感 じる者は無 く、高所恐怖症 になった者の話など聞 い たことがな い。

 

 

 

 

2016年9月12日 (月)

最後の北海道旅行 ( その 1 )

8 3  歳と 7 8 歳の我々老夫婦 は、9 月 4 日から 5 泊 6 日の スケジュール で人生最後の北海道旅行へ行くことに した。一時期 息子が札幌に転勤 していたこともあり、これまで 1 0 回以上北海道を訪れた経験があり 奥尻島以外の主な観光 スポット はすべて
訪れた。

今年の北海道は台風の当たり年で台風 1 0 号による大きな被害に加えて 1 2 号、温帯低気圧に変化した 1 3 号 台風による被害で、道東方面の鉄道 ・ 道路は大きな被害を受けた。

Hokkaihigai

そのために計画を変更 し、札幌市 とその周辺の観光をおこない、大通り公園で  トウキビ  ( とうもろこし ) や ソフトクリーム でも食べながら、57 年前の昭和 3 4 年 ( 1959 年 ) の夏に初めて北海道観光に行った時のことなど思い出すことに した。
                                                                         
その当時、阿寒国立公園 ( 阿寒湖 ・ 屈斜路湖 ) の観光拠点は J R の北見駅であり、札幌から夜行列車に乗り朝 北見に着 く と 観光 バ ス が 7 ~ 8 台待っていて、観光客は先を争って先頭に近い バ ス に乗ろうと  した。下の写真は、北見駅の 旧駅舎。

Kitami01

その理由は当時 観光地に行く道路は未舗装であり、そこを走る バ ス の大群が巻き上げる砂塵が ひどく、冷房など無い 時代の バ ス は窓を開けて一日中走るため、先頭車以外の乗客は  「 砂 ほこり 」 で 「 キ ナ コ 」   ( 黄な粉 ) になったからである。

ちなみに東京 ・ 大阪などの タクシー に 冷房が付き 夏季に 冷房料金を取ったのは、昭和 40 年( 1965 年 )  頃のことであり、客席側の窓 ガラス の下部に 冷房車 の表示を していた。

Reiboutaxi

蒸気機関車に牽引された客車に長時間乗ってきた乗客たちは、それ以前に石炭を焚 く 煤煙 ( ばいえん ) で 顔は ス ス だらけになって いた。

Homesenmen

北海道に限らず当時の J R の主な駅の ホーム には乗客 の洗面用に水道の蛇口 が  並んで いて、トンネル の多い地域を走る列車は乗客が煤煙で黒 く 汚れるために、 カ ラ ス 列車と 呼ばれて いた。

今回札幌へ来たのは 1 0 年ぶりであったが、その変わりようには驚 いた。観光 スポット では日本人観光客よりも中国人 ・ 韓国人 ・ 台湾人などの方が多いほどであり、ホテル も外国人だらけであった。

札幌で中央 バス 会社の定期観光 バ ス に乗ったところ、車内の案内は多言語による自動案内で、チャンネル 「1」  が英語、「2」  が中国語、「3」  が 韓国語、日本語はなんと最後の  「 チャンネル 4 」 であった。

Teikikanko

これでは、あたかも 英語圏の植民地 バ ス に乗ったような感 じが  した 。国際化 とは 自国語表記 ・ 自国語を優先させることを、田舎者 の 中央 バ ス の経営者 は知らないら  しい。

3 9 年前に ニューヨーク から エア ・ カナダ の航空機に乗り、フランス 系住民の多い カナダ 第二 の 都 市 モントリオール に 乗客 と して行った時のこと、カナダ の領空に入った途端、C A  ( Cabin Attendant、客室乗務員 ) による機内 アナウンス が それまでの英語から、カナダ ・ ケベック 州の公用語である フランス 語が最初になり、英語は 二番目になったが、それが国際常識 ・ 国際慣習というものであった。( 続 く )

 

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