« 私は女相撲の興業を見た ( その1 ) | トップページ | 相 撲 の話 ( その 3 ) »

2018年4月15日 (日)

相 撲 の 話 ( その 2 )

相撲の始まりといえば、どれも 古事記 ・ 日本書紀 にみられる 神話や伝説 にその 起源を求めている。

『 日本書紀 』 の 巻  6  によれば、垂 仁 天 皇 ( す いにんてんのう、第 1 1  代 天皇 ) の 7 年 7 月 に、 大和国  當 麻 邑 ( た ぎ ま む ら、タ イ マ ム ラ 、現 ・ 奈良県  葛城市 當麻 )  に  當 摩 蹶 速  ( た ぎ ま の  く  ゑ は や、タ イ マ ノ ケ ハ ヤ   )と いう  「 力 自 慢 」 で、 「 自分に及 ぶ 者 はな い 」 と 豪語  する者 が いた。

Nomitaima

垂 仁 天 皇 ( す い に ん て ん の う、第11代天皇 )が 出雲国 から  野 見 宿 禰 ( のみのす く ね ) を 召  し寄せ、7 月 7 日 に  捔 力  ( すまひ、相撲 ) で 対戦 させたところ、互 い に 蹴 り 合 っ た 後 に、當 摩 蹶 速  (  た い ま の け は や )  は 腰 を 踏 み 折 ら れ て  死んだとされ、奈良県  葛城市  當 麻  ( た い ま  ) には 「 蹴 速 の 塚 」  ( け は や の つ か )  と伝わる 塚 がある。当時の 相撲 には 土 俵 もなく、行司 も いなかった。

Kehayaduka

これについては、大和系 部 族  と  出雲系 部 族  との 戦 いで あったとする説や、埴 輪( は に わ )  の 起源 説話  ( 下記 参照 ) もあった。

垂 仁  ( す い にん )   天皇 の ころ、貴 人が  逝 去 すると、その 陵  ( み さ さ ぎ  )   のまわ り に、 生前 付き 従って いた人々 を 生 き 埋 めにする 殉 死  (  じゅん し )  の風習があった。犠牲者は生きたまま 埋 め 立て 並 べられた。

数日  しても彼らは 死 なず、昼夜悲  し げに 泣  いて いた。その後 死んだ彼らを 犬や カラス が食 い荒ら  した。天皇は 昼夜  泣 き 叫 ぶ 殉死者 の 声を聞 いて、心が 締 め つけられる 思 いが  した 」。

そこで 野見宿禰  ( のみのす く ね ) が 日 葉 酢 媛 命  ( ひばすひめのみこと、垂 仁 天 皇 の 皇 后  ) の 陵 墓 へ  殉死者 を 埋める 代わ り に、土で作った 人 馬 を 立てることを 提案  し、土部  ( は  じ べ  )  100 人 を 出雲 から 呼 び 寄 せた。そ して 自ら 土部 を率いて  埴 輪 ( はにわ )を作って献上 した。これを 埴輪 の 起源 と した。

Haniwaa

天皇は 野 見 宿 禰 の 功績 をほめて、土 部 職  ( は  じ の つ か さ  )  に 任命  し、土 部  臣  ( は じの お み )  と 称 させた。野 見 宿 禰 を 祀 る 野 見 宿 禰 神 社 ( の み の す く ね  じん  じゃ ) は、東京都 墨田区 亀沢 (  両国 国技館の近隣 ) に所在  し、日本相撲協会により 管 理 されて いるが、同名の神社は 兵庫県 たつの 市 にもある。また神社の名前が 異 なるものの、野 見 宿 禰 を 祀 る 神社 は 他 にも存在 する。

« 私は女相撲の興業を見た ( その1 ) | トップページ | 相 撲 の話 ( その 3 ) »

コメント

キャプテンお久しぶりです暫く更新なかったので心配しておりました!毎回ブログ拝見して勉強させてもらってます。今後もお身体ご自愛のうえ無理ない位に更新宜しくお願いいたします!! 全く関係ない話で恐縮ですが、昨日昼間に千里川土手に行って見ましたが、小型機ばかりで…時代なんでしょうか、何だか寂しさを感じました。ムダと言われてもあの頃が懐かしい中年?の戯言でした。失礼します。

橋本 さま

ご心配をお掛けいた しま した。8 5 歳になると
体の各部に トラブル ( 糖尿病 ・ 脳梗塞の危険 ・ 緑内障 ) を抱えま して、ブログ の更新も しばら く 休んでおりま した。

後期高齢者の運転免許 更新には 「 認 知 機 能 検 査 」 と 「高 齢 者 講 習 」 が 義務 付けられていて、今日は自動車教習所で 「 認知機能検査 」 を受けてきま したが、5,850 円 掛かりま した。

結果は約 10 日後に 警察から、「 ハガキ 」 で連絡が く るとのことで した。それによって高齢者講習が 2 時間 コースか、3 時間 コース、または 精 神 科 医 行 き コース が指示されるとのことで した。

人生最後の運転免許の更新が、無事に 済 むことを期待 しております。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 相 撲 の 話 ( その 2 ):

« 私は女相撲の興業を見た ( その1 ) | トップページ | 相 撲 の話 ( その 3 ) »